エニューオー
エニュオ · エニュオー · Enyō
ギリシアの戦の女神。「都市を滅ぼす者」と呼ばれ、アレースに従って戦場に立つ。ローマのベローナと同一視された。
解説
概要
エニューオー(Ἐνυώ / Enyo)は、殺戮と戦闘を司るギリシアの女神である。名は「恐怖」に通じると解され、アレースの別名エニューアリオスの女性形にあたる。「都市を滅ぼす者」(ptoliporthos)の添え名で呼ばれ、しばしば血にまみれ武器を携えた姿で語られた。争いの女神エリスと同一視されることがあり、ローマではベローナと重ねられた。
神話・物語
固有の物語をほとんど持たず、戦場の描写のなかに現れる。ヘーシオドスに帰される『ヘーラクレースの盾』は、アレースに従って血の海を行くこの女神を描く。『イーリアス』では、アテーナーと名を並べて語られるほど恐ろしい戦の女神として言及される。乱戦を体現するキュドイモスを従えるともいう。
アレースとの関係は一定しない。母とも娘とも姉妹とも伝えられ、古代の資料は決着をつけていない。戦の狂乱という同じものを二柱で表そうとすれば、両者を親子とするか兄妹とするかは書き手の裁量に委ねられる。ケール(死の運命の霊)やダイモーンの一種と見る理解もあり、オリュンポスの家族図に安定した席を持たない神格である。
祭祀の跡は残っている。パウサニアース『ギリシア案内記』によれば、アテーナイのケラメイコスにアレースの神殿があり、そこにはアレース像・アプロディーテー像・アテーナー像と並んで、プラクシテレースの息子たちが制作したエニューオー像が置かれていた。名を挙げられる彫刻家の作として堂々と祀られていたことになる。
なお、ポルキュースとケートーの娘であるグライアイ三姉妹の一人にも、同名のエニューオーがいる。生まれながらの老女で、姉妹と一つの目と一つの歯を分け合い、ペルセウスに奪われてゴルゴンへの道を教えたという話に登場する。戦の女神とは別の存在である。
図像と象徴
名を添えた古代の作例は知られていない。武具を執る女神像はアテーナーの図像に吸収されやすく、銘のない像からエニューオーを識別することは難しい。パウサニアースが記したケラメイコスの像も失われている。したがって本項では主画像を置いていない。
近世以降、ローマのベローナの図像がこの女神の像として流用されることがあるが、それはローマ側の造形であって、ギリシアの伝統に基づくものではない。
系譜と関係
アレースとの関係は諸説あり定まらない。エリスと同一視されることがあり、ローマではベローナと、またネリオーとも重ねられた。軍神のファセットのなかでは、規律ある戦を担うアテーナーの対極、すなわち統御されない戦の側に立つ。ギリシアがアレースとアテーナーに戦を割り振ったのと同じ線が、女神の側でも引かれていることになる。
文化的足跡
英語の enyo という語形は、この女神の名からそのまま取られて小惑星や生物の学名に用いられている。文学の主題として単独で扱われることは少なく、その姿はローマのベローナを通じて近世ヨーロッパへ伝わった。