ドン
ドン・フィーリネ · エヴェル・ドン · ドンヌ
ゲール人の祖とされ、死者の神と考えられているアイルランドの神。テヒ・ドゥン(ドンの家)に死者の魂が集まるとされ、「ドンの家へ行く」は死ぬことを意味した。
解説
概要
ドン(Donn、「暗き者」。ケルト祖語 *Dhuosnos)は、アイルランド神話でゲール人の祖とされ、死者の神と考えられている。テヒ・ドゥン(「ドンの家」)に住まい、そこに死者の魂が集まるという。
もとはダグザの一相であった可能性が指摘されている。近代に至るまで民間伝承として生き延び、白馬に乗る幽鬼の騎手として語られた。
なお、ウェールズの母神ドーン(ドーン)とは別の神格である。名の形が近いため混同されやすいが、系統上のつながりは示されていない。
神話・物語
9世紀の詩は、ドンの臨終の願いを記す。子孫はみな死後わが家に来たれ——「われのもとへ、わが家へ、汝らはみな死ののちに来るであろう」。10世紀の物語『フィンゲンの通夜』は、テヒ・ドゥンが死者の魂の集まる場所であると述べる。アン・ドゥーリーとハリー・ローは『老人たちの語らい』の英訳注で、アイルランドの伝統において「ドンの家へ行く」とは死ぬことを意味すると記した。
異教期のゲール人はこの神を自らの祖とみなし、死後はその住処へ行くと信じていたことになる。テヒ・ドゥンは、魂が異界の最終的な行き先へ向かう前、あるいは転生する前に集まる場所と考えられていたのかもしれない。
キリスト教徒の書き手が編んだ『侵略の書』は、この神をエヴェル・ドンというミレー族の祖の一人に作り替えた。ミレー族がアイルランドをトゥアハ・デ・ダナーンから奪う侵攻のさなか、ドンは女神エリウを侮り、南西沖で船が難破して溺れる。遺体は岩の島に葬られ、そこがテヒ・ドゥンと呼ばれるようになった。
『トガル・ブルーデン・ダ・デルガ』では、コナレ・モール王が滅びへ向かう道すがら、赤い馬に乗る三人の赤い男に出会う。彼らは王の破滅を予告してこう言う——われらはドンの馬に乗る……生きてはいるが、死んでいる。この物語でドンは「死者の王」と呼ばれる。
『トレヴランの求婚』では、ダグザの子または養子とされる。ダーヒ・オー・ホーガーンは両者の類似を挙げ、ドンはもともとダグザの添え名だったのではないかと述べる。
図像と象徴
図像は伝わらない。本サイトが掲げるのは、テヒ・ドゥンと同定されるブル・ロックの写真である。ベアラ半島の西端沖に浮かぶ岩礁で、島を貫く自然のトンネルがあり、海がその下を通り抜ける。支石墓の門のように見えることから、この岩が死者の門と考えられたのだろうと推測されている。
アイルランドには、死者の魂が沈む太陽とともに西の海へ去るという信仰があった。この岩は、そのまま西の果てにある。
『地名譚』のテヒ・ドゥンの項はこう伝える——ドルイドの呪文によって嵐が起こり、ドンの乗る船が沈んだ。「その骸をかの高き岩へ運べ」とアウァルゲンが言う、「彼の一族はこの場所へ来るであろう」。それゆえテヒ・ドゥンと呼ばれる。異教徒によれば、罪ある者の魂は地獄へ行く前にテヒ・ドゥンを訪れ、去るに際してドンの魂に祝福を与えるのだという。
系譜と関係
ダグザの子または養子とされる。ディルムッド・ウア・ドゥヴネの父にあたり、その子を若さの神オェングスに養育を託した。
死者の神という職掌では、ウェールズのアラウンや、大陸ケルトのディス・パテルと比較される。カエサルはガリア人が自らをディス・パテルの子孫と称すると記しており、ドンをゲール人の祖とする伝えと構図が重なる。ただし両者を結ぶ直接の証拠はない。
文化的足跡
近代まで民間伝承が残った。リムリック県では、聖なる丘クノック・フィーリネに住むドン・フィーリネが語られ、人は死ぬとこの丘へ連れて行かれてドンのもとに加わるとされた。白馬に乗る幽鬼の騎手として現れるという。
神の名が地名になり、その地名が死そのものを指す言い回しになる。「ドンの家へ行く」という一句に、この神格のすべてが要約されている。