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コウェンティナ
PLATE — COVENTINA
CELTAE · ケルト神話
COVENTINA

コウェンティナ

コヴェンティナ · コウィアンナ · Coventina

J・C・ブルース『ローマの長城手引』(1885年)所収の木版図。コウェンティナの井戸から出た三女神の祭壇 PUBLIC DOMAIN

ハドリアヌスの長城沿いの泉で祀られたローマ・ブリテンの女神。井戸から一万三千枚を超える貨幣と多数の奉献品が出土し、388年ごろに祭祀が急に絶えた。

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解説

概要

コウェンティナ(Coventina)は、井戸と泉を司るローマ・ブリテンの女神である。イングランド北部ノーサンバーランド、ハドリアヌスの長城沿いのカラウバラ近くにある泉を囲む一帯から見つかった複数の碑文によって知られる。

祭祀の記録がこの一箇所に集中しているという点が、この女神の特徴である。イスパニアからの二例とナルボネンシスからの一例がこの女神を指す可能性も指摘されているが、決着していない。

神話・物語

神話は伝わらない。この女神について知られていることは、一つの井戸から出た遺物によってすべて構成されている。

1879年、泉の湧出を受け止めるために築かれた石囲いの中から、コウェンティナへの奉献物と献納品が見つかった。場所はハドリアヌスの長城の砦と集落の近くで、7世紀の『ラヴェンナ地誌』はここをブロコリティ、5世紀の『ノティティア・ディグニタトゥム』はプロコリティアと記す。近くにはミトラス神殿とニンフ神殿の遺構もある。

井戸そのものは、11.6メートル×12.2メートルの石囲いの中央にある2.6メートル×2.4メートルの矩形の水槽である。中から出たものの内訳が、この祭祀の性格を伝える——マルクス・アントニウスからグラティアヌスに至る一万三千四百八十七枚の貨幣、三人の水のニンフを彫った浮彫、男性像の頭部、コウェンティナへの奉献板二枚、コウェンティナとミネルウァへの祭壇十基、素焼きの香炉二個、そして多種多様な奉献品。

発掘は1876年に英国の考古学者ジョン・クレイトンが行った。井戸を囲む壁の年代は定かでないが、砦の完成(128年から133年のあいだ)よりのちに築かれたとする説がある。ハドリアヌスの長城が井戸を避けて曲がっていないことから、囲い壁は湿地の水流を制御するために後から設けられたと考えられている。

終わりは唐突であった。貨幣の埋蔵と、それを覆う石、そして井戸を塞いだ石の状況から、388年ごろに祭祀が急に絶えたと推測される。テオドシウス1世の異教禁止令に連なる出来事によるのだろう。

図像と象徴

本サイトが掲げるのは、ジョン・コリングウッド・ブルース『ローマの長城手引』(1885年)に載る木版図である。井戸から出た祭壇の一つを写したもので、三つのアーチの下にそれぞれ女性が坐す。発見者の一人が「三人の美しい貴婦人」と記した浮彫である。

図像は典型的なローマのニンフの形をとる。身を横たえ、半ば衣をまとい、水と結びつけて描かれる。この祭壇のように三体で表される例もあり、一体を中心に二人の侍女を伴う形とも読める。三人一組という配置は、マトレスをはじめとする北西ヨーロッパの母神像と共通する。

一万三千枚を超える貨幣という数字が、何より雄弁である。物語を持たない土地の女神が、二百数十年にわたって長城沿いの人々から硬貨を投げ入れられ続けた。

関わる神格・伝承

同じ井戸から祭壇が出ているミネルウァと並べて祀られていた。近隣にミトラス神殿があることから、辺境の駐屯地に複数の信仰が並存していたことも分かる。

泉と水の女神という点では、バースのスリス、セーヌ川源流のセクアナと同じ系列に属する。いずれも土地に固着した女神であり、ローマの神名に置き換えられずに固有の名を保った点も共通する。

文化的足跡

ロジャー・シャーマン・ルーミス、ジョン・リース、ケイトリン・マシューズらの研究者は、アーサー王伝説の「湖の乙女」がこの女神から歴史的・言語的な影響を受けたと論じてきた。聖なる泉を守る者と、水底の宮に住む者。剣と奉献物を水に投じるという所作の共通性。癒しと再生との結びつき。そして写本が繰り返し写されるうちに、コウィアンナという異形からニウィアネ、ニミュエ、ヴィヴィアーヌへと名が変じていったとする読みである。

ただしこれは推論の積み重ねであって、証明された系譜ではない。長城沿いの井戸から出た一万三千枚の硬貨と、中世フランスの散文物語のあいだには、埋めるべき距離がなお大きい。

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領分・別名

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資料

Wikidata
Q1138061 — 骨格データの出典
Commons
Coventina — 図像カテゴリ