カッサンドラー
カサンドラ · カッサンドラ · アレクサンドラー
トロイアの王女で予言者。アポローンに予言の力を与えられたが、誰にも信じられないという呪いを負った。
解説
概要
カッサンドラー(Κασσάνδρα / Kassandra)は、トロイア王プリアモスとヘカベーの娘で、予言の力を持つ王女である。アレクサンドラーの名でも呼ばれる。
彼女を規定するのは、正しい予言が一度も信じられないという条件である。予言者が真実を語りながら受け入れられないという型はテイレシアースやカルカースにも見られるが、彼女の場合は不信そのものが神から課された罰であり、構造として固定されている。
神話・物語
呪いの由来は二系統に分かれる。ひとつは、アポローンが彼女に恋して予言の力を与えたが、力を得たあとで彼女が身を許さなかったため、神が「誰にも信じられない」という条件を加えたというもの。もうひとつは、幼い彼女がアポローンの神殿で眠っているあいだに聖なる蛇が耳を舐めて力を得たとするもので、こちらでは呪いの説明が別に必要になる。前者が広く語られる。
彼女は繰り返し正しく告げる。パリスの航海が災いをもたらすと言い、木馬を市内に入れてはならないと言い、アガメムノーンの館で自らの死を告げる。いずれも聞き入れられない。ウェルギリウスは、トロイア人が彼女の言葉を信じないのは神意によるのだと明記している。
落城の夜、彼女はアテーナーの神域に逃れて女神像にすがったが、小アイアースに引き剥がされて犯された。神域における暴行はギリシア勢全体の罪とされ、帰路の嵐と難破の原因に数えられる。彼女は戦利品としてアガメムノーンに与えられ、ミュケーナイへ連れ帰られたその日に、王とともにクリュタイムネーストラーに殺された。
アイスキュロス『アガメムノーン』の彼女は、館に入る前に自らの死と王の死を明晰に語り、なお誰にも理解されないまま歩み入る。ギリシア悲劇のなかで、知っていることと言えることのあいだの断絶を最も鋭く示す場面である。
図像と象徴
古代美術が繰り返し描いたのは、祭壇での場面である。本ページの主画像は前440〜430年頃のアッティカ赤絵式キュリクス(コドロスの絵師、ルーヴル美術館 G458)の内面で、女神像にすがる彼女を小アイアースが引き剥がす場面を描く。トロイア陥落図(イーリオウペルシス)の定型の一部として、前6世紀から繰り返された主題である。
予言する彼女を描いた作例は少ない。既存のヘクトールの項に掲げたエレトリアの絵師のカンタロスでは、出陣する兄に献酒する姿として現れる。予言者としての彼女は、告げる場面ではなく告げても無駄であった結果として図像化された。
系譜と関係
父プリアモス、母ヘカベー。ヘレノスと双子の兄妹とする伝えがある。二人がともにアポローンから予言の力を得たとされる版では、信じられる予言者と信じられない予言者が対になる。
アガメムノーンとの間に双子テーレダモスとペロプスを生んだとする伝えもあり、母子ともにクリュタイムネーストラーに殺されたという。
文化的足跡
「カッサンドラー」は、正しい警告が無視される状況を指す語として定着した。心理学の「カサンドラ症候群」、国際政治や災害研究で用いられる「カサンドラの呪い」など、専門用語としての用例も多い。
クリスタ・ヴォルフの小説『カッサンドラ』(1983年)は、彼女の側から戦争を語り直した作品として広く読まれた。原典で聞かれない人物であることが、近代の書き手を引き寄せ続けている点はエウリュディケーと共通する。