バーラト・マータ
バーラト・マーター · マザー・インディア · バンガ・マータ(原題)
インドという国土を母なる女神として擬人化した近代の像。19世紀後半のベンガルに生まれ、独立運動の象徴となった。古典神話の神格ではない。
解説
概要
バーラト・マータ(Bhārat Mātā / भारत माता、「母なるインド」)は、インドという国土を母なる女神として擬人化した像である。ここで注意がいるのは、彼女が古典的なヒンドゥー神話に出自をもつ神格ではないという点である。名も像容も19世紀後半のベンガルで形をとったものであり、本項が扱うのは近代に生まれた宗教的かつ政治的な象徴である。赤ないしサフラン色のサリーをまとい、蓮の上に立ち、近年の表現では国旗を手にし、しばしば獅子を伴う姿で描かれる。
神話・物語
成立をたどると、19世紀後半のベンガルに行き着く。1866年に匿名で刊行されたブーデーブ・ムコーパッダーエの諷刺作品『ウナビンシャ・プラーナ(第十九のプラーナ)』に起源を求める説があり、1873年にはキラン・チャンドラ・バナルジーの戯曲『バーラト・マータ』が初演された。1770年のベンガル飢饉を舞台とするこの劇では、森で反乱者に出会った夫婦が祭司に導かれて寺へ赴き、そこでバーラト・マータを目にして蜂起を決意する。
決定的だったのは、バンキム・チャンドラ・チャットーパッダーエが1882年に発表したベンガル語小説『アーナンダマト』である。作中の讃歌「ヴァンデー・マータラム(母に礼拝す)」は、まもなく独立運動の歌となった。この小説において彼女は、女神ドゥルガーやカーリーと切り離しがたい形で描かれている。
1905年のベンガル分割令ののち、スレンドラナート・バナルジーらが組織した英国製品ボイコット(スワデーシー運動)のなかで、彼女の名は集会の合言葉として繰り返し唱えられた。1920年代には図像がより political な性格を帯び、ガンディーやバガト・シンの像、三色旗が画面に加えられるようになる。そして1930年代、この像は礼拝の対象という領域へ踏み込んでいった。
図像と象徴
像容を定めたのは、アバニンドラナート・タゴールが1905年頃に描いた一枚である。ベンガル派の様式で四臂の女神として表され、サフラン色の衣をまとい、写本、稲束、数珠、白布を持つ。もともと「バンガ・マータ(母なるベンガル)」と題されていたものが、のちにインド全体を指す名で呼ばれるようになった経緯は、この像の広がり方をよく示している。作品はコルカタのヴィクトリア記念堂に収められている。シスター・ニヴェーディターはこの絵を評し、緑の大地と青い空を背に立つ姿、足もとの四つの蓮、神的な力を意味する四本の腕、白い光輪と真摯な眼差しを挙げ、四つの持物を母国が子らに与える教育・入門・食物・衣服と読んだ。
もう一つの系統は地図である。大三角測量に基づく英領インドの地図が19世紀後半に広く流通すると、インドの輪郭そのものが図像の背景として用いられるようになった。1909年、詩人スブラマニヤ・バーラティのタミル語雑誌『ヴィジャヤ』の表紙は、地図を背にした彼女を掲げている。以後、雑誌・ポスター・カレンダーを通じて図像は全土に広がった。
系譜と関係
神話上の系譜をもたない点が、この像の特徴である。代わりに機能するのは、既存の女神との重ね合わせである。『アーナンダマト』はドゥルガーとカーリーに、スブラマニヤ・バーラティはガンガーおよびマハーデーヴィーに彼女を重ねた。ビピン・チャンドラ・パールは、ヒンドゥーの哲学的伝統と信愛の実践に接続しながら、太古の霊的本質、宇宙の超越的理念、そして普遍的ヒンドゥー性と国民性の表現としてこの像を論じている。
国土を母として語る発想そのものは、天空神と対をなす地母神プリティヴィーまでさかのぼるヴェーダ以来の系譜をもつ。ただしバーラト・マータの場合、母とされるのは大地一般ではなく測量によって輪郭を与えられた領土であり、その点で古代の地母神とは性格を異にする。同種の擬人化はほかにもあり、タミル語を体現するタミル・タイ、テルグ語圏のテルグ・タッリ、ベンガルのバンガ・マータなどが並行して形成された。地域や言語を母として表す発想が、この時期に広く共有されていたことがうかがえる。
文化的足跡
彼女を祀る寺院は数が少ない。最初のものは1936年、シヴ・プラサード・グプタとドゥルガー・プラサード・カトリーの寄進によりヴァーラーナシーに建てられ、ガンディーが開所した。堂内には大理石のインド地図が床に敷かれ、当初は礼拝像(ムールティ)が置かれなかった。壁には詩人マイティリー・シャラン・グプトの詩が掲げられ、寺がカーストと宗教を問わず開かれていることを謳う。ガンディー自身も、この寺があらゆる宗教・カースト・信条の人々に共通の場となり、宗教的な融和に資することを望むと述べた。1983年にはハリドワールに八階建ての寺がインディラー・ガンディーによって開所され、2015年にはコルカタにも建てられている。
「バーラト・マータ・キ・ジャイ(母なるインドに勝利あれ)」はインド陸軍の標語として用いられ、日常語では「インド万歳」に近い挨拶として使われる。
一方でこの像は、現在も論争の対象である。カリヤーニー・デーヴァキー・メノンは、インドを女神として描く発想がヒンドゥー・ナショナリズムの政治に深く関わり、国防を愛国的義務であると同時に宗教的義務として提示する働きをもつと論じた。他方、神を人の姿で礼拝しない立場をとるムスリムやシク教徒からは、その名を唱えることへの反対が表明されてきた。近代の国家像と宗教的表象が重なるところに生じた問題であり、評価は立場によって分かれている。