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PLATE — ANDARTA
CELTAE · ケルト神話
ANDARTA

アンダルタ

アンダルテ · Andarta · Dea Augusta Andarta

南ガリアのウォコンティイ族が祀った守護女神。ディー周辺で七点の奉献碑文が知られる。名を「大いなる雌熊」と読む説は長く行われたが、近年は異論がある。

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解説

概要

アンダルタ(Andarta)は、南ガリアのウォコンティイ族が祀った女神である。名を刻んだ碑文は、現在のドローム県ディーとその周辺に限られる。ディーという地名そのものが、この女神を指す Dea(女神)に由来するとみられており、333年の記録に見える Civitas Dea Vocontiorum(ウォコンティイ族の女神の都市)がその中間形にあたる。土地の名が神の名から生まれた、ガリアでは珍しくない例である。

神話・物語

物語は伝わらない。知られるのは七点の奉献碑文である。いずれも Dea Augusta Andarta(尊厳なる女神アンダルタ)に捧げられ、150年から200年ごろの年代が与えられている。アウグスタという添え名は皇帝崇拝に連なる敬称であり、この女神が地方の守護神として公的な祭祀の枠に組み込まれていたことを示す。

信仰は1世紀末にディーで現れ、その後、市街とその周辺へ広がった。2世紀後半になると、この地域に「神々の大いなる母」としてのキュベレー信仰が導入され、3世紀前半に大きく伸張する。1912年、アンリ・グライヨはこの推移を、アンダルタが最終的にキュベレーへ吸収されたものと解釈した。これに対しブノワ・ロシニョルは、多神教の力学に照らせば、アンダルタと大母神は互いに押しのけることなく、同じ公的な神々の列のなかで併存したとみるほうが自然だと論じている。地方神の消長を「新しい信仰が古い信仰を駆逐した」と読む筋書きに対する、慎重な留保である。

図像と象徴

この女神を描いた図像は知られていない。残るのは石に刻まれた名だけである。

名の解釈も一通りではない。伝統的には、強意の接頭辞 and- にガリア語の「熊」を表す arto- を添えた形とみて、「大いなる雌熊」「力強い雌熊」、あるいは星座の大熊座を指すと解されてきた。この読みに立てば、アルティオと対をなす熊の女神ということになる。しかしブランカ・マリア・プロスペルは、意味の面でも統語の面でもこの説明に無理があるとして、印欧祖語の接頭辞 *h₂ndʰi- に「据えられた、組み立てられた」を意味する分詞要素を組み合わせた「よく据えられた者」「揺るがぬ者」と読む。守護神としての性格には後者のほうが素直に合う。

イゼール県で知られるメルクリウス・アルタイオス(Artaios)を語源の傍証とする議論もあるが、アルタイオスの碑文はより北方にしか現れず、ウォコンティイ族の女神と結びつける根拠としては弱い。図像がなく、物語もない神格において、名の分析が唯一の手がかりとなり、それゆえ語源説の当否がそのまま神格像を左右する。この女神はその難しさをよく示す例である。

系譜と関係

系譜を伝える資料はない。

ブリタンニアのイケニ族の女王ボウディッカが呼びかけたという女神アンドラステと同一視する説がある。カッシウス・ディオが伝えるこの女神の名は「不敗の者」とも解され、名の類似から結びつけられてきた。この線に沿って、アンダルタを戦いの女神とみる読みも行われる。ただし両者を結ぶのは名の響きだけであり、アンダルタの碑文には軍事に関わる語は現れない。

熊の名を負うとされる神格としては、ヘルウェティイ族とトレウェリ族のアルティオ、イゼール県のメルクリウス・アルタイオスが挙げられてきた。土地の守護女神という点では、アルデンヌのアルデュイナ、黒い森のアブノバ、ブリタンニア北部のブリガンティアと同じ型に属する。共同体が自らの土地に女神を立て、ローマ期にはその名にラテン語の敬称を添えて祀り続けた——ガリアとブリタンニアに共通する信仰のかたちである。

文化的足跡

ディーの市名は、この女神の名残として今日まで残っている。ローマ期の都市名 Dea Augusta Vocontiorum が短縮されて現在の Die となったもので、女神の名がそのまま自治体の名として千数百年を生き延びたことになる。

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領分・別名

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資料

Wikidata
Q490017 — 骨格データの出典
Commons
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