アルケースティス
アルケスティス · アルケスティー · Alcestis
夫アドメートスの身代わりに死ぬことを選んだイオールコスの王女。墓へ赴いたヘーラクレースがタナトスと組み打って取り戻した。エウリピデースの悲劇で知られる。
解説
概要
アルケースティス(Ἄλκηστις)は、ギリシア神話のイオールコスの王女である。夫への愛によって知られる。
その生涯は擬アポロドーロス『ビブリオテーケー』に記され、死と帰還の物語はエウリピデースの悲劇『アルケースティス』によって広く知られるようになった。
神話・物語
イオールコス王ペリアースと、アナクシビアーあるいはピュロマケーの娘のうち最も美しい者であった。兄弟にアカストス、ピーシディケー、ペロピアー、ヒッポトエーがいる。
婚期を迎えたとき、多くの求婚者がペリアースの前に集まった。王は不可能な課題を出し、獅子と猪(版によっては熊)を車につないだ最初の者に娘を与えると宣する。ペライの王アドメートスがこれを果たした。アポローンの助けによってである。アポローンはオリュンポスを一年追放され、アドメートスの羊飼いとして仕えていた。
二人は結ばれたが、婚礼ののちの犠牲において、アドメートスはアルテミスへの供物を忘れた。婚礼の室を開けると、寝台は蛇でとぐろを巻いていた。彼はこれを早い死の徴と解する。
アポローンは再びこの新婚の王を助けた。今度はモイライを酔わせ、誰かがアドメートスの代わりに死ぬことを望むならそれを許すと約束させたのである。
死の日が近づいたとき、誰も進んで死のうとしなかった。老いた両親さえも拒む。ただ一人、妻アルケースティスが夫の代わりに死ぬことを選んだ。
そこへヘーラクレースが客として訪れる。事情を知った彼は墓へ赴き、タナトスと組み打ってアルケースティスを取り戻した。
図像と象徴
本サイトが掲げるのは、ポンペイ出土のローマ期の壁画である。アルケースティスとアドメートスを描く。
この物語の核心は、代死という一点にある。誰かが代わりに死ねば助かるという条件が示されたとき、両親は拒み、妻が引き受ける。エウリピデースの劇は、拒んだ父ペレースと息子アドメートスの激しい口論を書き込んでおり、家族の情がどこまで及ぶかを問う構成になっている。
死からの帰還も、この物語を特徴づける。オルペウスの場合と異なり、ここでは連れ戻しが成功する。ただし戻ったアルケースティスは劇の最後まで沈黙したままであり、その沈黙をどう読むかは古来の論点である。
関わる神格・伝承
父はペリアース、夫はアドメートス、子はエウメーロスとペリメーレー。助けたのはアポローンとヘーラクレース。
タナトスと組み打つヘーラクレースという場面は、死そのものを腕力で押さえ込むという珍しい構図である。同じ英雄がケルベロスを引き出す挿話とも通じる。
文化的足跡
エウリピデース『アルケースティス』(前438年)は、悲劇でありながら喜劇的な結末を持つ「プロサテュロス劇」として上演された。四部作の最後に置かれ、サテュロス劇の代わりを務めたためである。
グルック『アルチェステ』(1767年)をはじめ、歌劇の題材として繰り返し用いられた。ヘンデル、リュリ、ラモーらも同じ主題を扱っている。
日本語圏では、夫の身代わりに死ぬ妻という筋が、しばしば貞節の物語として紹介される。ただし原典の劇が問うているのは、むしろ引き受けなかった者たちの側である。