嫘祖
西陵氏 · 先蚕 · 蚕神
黄帝の正妃とされる伝説上の女性で、西陵氏の娘。宋代の史書が民に養蚕を教えたと記し、蚕の神「先蚕」として皇后の祭祀を受けた。茶碗に繭が落ちたという発見譚は近代の再話。
解説
概要
嫘祖(れいそ、Léizǔ)は、中国の伝説で黄帝の正妃とされる女性である。西陵氏の娘で、民に養蚕を教えたと伝えられ、後世には蚕の神「先蚕」として国家の祭祀を受けた。
神話・物語
最も古い記録は、司馬遷『史記』五帝本紀にある。黄帝は軒轅の丘に住み、西陵氏の娘を娶った。これが嫘祖で、黄帝の正妃となり、玄囂と昌意の二子を生んだという。ここに養蚕の話はまだない。
嫘祖を養蚕の創始者とする記述がはっきり現れるのは宋代である。劉恕『通鑑外紀』は、西陵氏の娘嫘祖が黄帝の元妃となり、はじめて民に蚕を育て、絹を紡いで衣服を作ることを教えたと記し、羅泌『路史』も、養蚕を始めたことから先蚕として祀られると述べる。伝統的に前27世紀とされる年代も、この伝承上の系譜にもとづくものである。
今日よく語られる、茶の碗に繭が落ちて糸がほどけたのを見て絹を見出したという話は、近代になって広まった通俗的な再話で、古典には見えない。
図像と象徴
近世の通俗史書の挿絵や近代の絵画では、桑の枝や繭を手にし、民に養蚕を教える貴婦人として描かれる。本サイトの主画像は、『廿一史通俗衍義』の挿絵「黄帝妃西陵氏教民蚕」で、西陵氏が人々に蚕の飼い方を示す場面である。
系譜と関係
父は西陵氏、夫は黄帝。子は玄囂(青陽)と昌意で、『史記』では昌意の子が五帝の一人顓頊となる。玄囂を少昊と同一視する説もある。
文化的足跡
先蚕の祭祀は古くからあったが、それを嫘祖に当てるのは北周の頃からとされる。以後、皇后が先蚕の祭を主宰し、皇帝が先農の祭で自ら田を耕すのと対をなした。北京の北海公園には、清の乾隆年間(1742年)に設けられた先蚕壇が残る。
四川省塩亭県をはじめ、生地を名乗る土地が各地にあり、今も嫘祖を祀る祭が営まれている。考古学のうえでは、山西省夏県の西陰村遺跡(1926年発掘)で切断された繭が、浙江省の銭山漾遺跡で前3千年紀の絹織物が見つかっており、伝説とは別に、中国における養蚕の古さを示している。日本の養蚕起源譚であるオオゲツヒメの死体から蚕が生じる話とは、系統を異にする。
なお道教と中国の民間信仰は今日も信仰されている生きた伝統であり、本項の記述はその神格の伝承と図像に関する学術的な整理である。
領分・別名
親・配偶者・子までを表示(全体はフル系図ページへ)。実線=主要伝承/点線=異伝・別系統。