ルギェヴィト
ルギエヴィト · ルイェヴィト · ルギェヴィート
リューゲン島カレンツァで祀られたスラヴの神。七つの顔と七本の剣を備え、右手に八本目を握る樫材の巨像であった。1168年にデンマーク軍が斧で破壊した。
解説
概要
ルギェヴィト(ラテン語 Rugiaeuit、ルギエヴィト、ルイェヴィトとも)は、リューゲン島のラニ族が祀ったスラヴの神である。史料は二つしかない——サクソ・グラマティクスの『デンマーク人の事績』と『クニュートリンガ・サガ』である。
神殿は、ポレヴィトとポレヌトのそれとともに、カレンツァのゴルド(城砦)に置かれていた。おそらく今日のガルツにあたる。像は七つの顔を持ち、帯には七本の剣を差し、手に八本目の剣を握っていた。唇の下には燕の巣があった。
主として戦の領域に結びつけられるが、性に関わる相も伝えられる。
神話・物語
1168年、デンマーク王ヴァルデマー1世がスヴェントヴィトの聖域アルコナを陥れたのち、その住民が王と協定を結んだ。これを見たカレンツァの住民も同様の協定を結び、戦わずして町を明け渡す。サクソは、この城砦にルギェヴィト、ポレヴィト、ポレヌトに捧げられた三つの神殿があったと記し、同年六月のルギェヴィト像の破壊を次のように描いた。
主要な神殿は前庭の中央にあり、壁の代わりに紫の布で囲われ、屋根は独立した柱だけで支えられていた。従者たちは前庭の装飾を脇へ寄せ、ついに神殿内部の帳に手をかけた。それを引き開けると、樫材で作られた偶像が四方から見えた。彼らはこれをルギェヴィトと呼んだが、その醜さは大いなる嘲笑を誘った。口の輪郭の下に巣を作っていた燕が、その胸に厚く糞を積み上げていたからである。頭部には人間のような顔が七つあり、そのすべてが一つの頭蓋で覆われていた。作り手は同じ数の本物の剣を鞘ごと一本の帯に吊るし、八本目の抜き身を右手に握らせていた。この剣は拳のなかに鉄釘で固く留められ、手を切り落とさずには外せなかったため、それが像を切り刻む口実になった。像は通常の人体より太く、また高く、アブサロンがつま先立ちになっても、いつも携えている斧で顎に届くのがやっとであった。人々は、この神がマールスにほぼ匹敵する力を授かり、戦を司ると信じていた。
サクソが記録したこの一段は、スラヴの神像についての最も具体的な記述の一つである。
続いてポレヴィトとポレヌトの像も倒され、司教アブサロンは村を火から守るため、三体すべてを町の外へ運び出して焼くよう命じた。ここでサクソは性行為に関わる俗信に触れているが、それがどの神に結びつくのかは明らかでない。
図像と象徴
本サイトが掲げるのは、アドルフ・バスティアン『民俗と人類学の諸相』(1888年)に載る図版である。サクソの記述に基づいて19世紀に描かれたもので、中世の神像の写生ではない。
七という数が、この神の造形を決めている。七つの顔と七本の剣、そして八本目を握る右手。スラヴのポラーブ地域の神々には多面の像が集中しており、アルコナのスヴェントヴィトは四面、シュチェチンのトリグラフは三頭、そしてポレヴィトは五面、ポレヌトは四面と胸の一面を持つ。顔の数が神格の格を表していたとする読みがある。
燕の巣という細部も見逃せない。神像が長く手入れされずに立っていたことを示すと同時に、サクソが異教の神を貶めるために選んだ描写でもある。同時代の記録が敵の筆によることを、この一行が思い出させる。
関わる神格・伝承
ポレヴィトとポレヌトとともに、カレンツァの三神をなす。ポーランドの中世史家ヤツェク・バナシュキェヴィチによれば、この三柱は「たまたま集まった」神々ではなく、社会の存立にとって基本的な領域を分担する組である。ルギェヴィトを、戦と共同体を司る主神と位置づけ、ポレヴィトとポレヌトをその普遍的な性格を補う双子神とみる。
支配者の側から見れば、ルギェヴィトの祭祀は「私的」なものであり、アルコナのスヴェントヴィトの「公的」かつ神権政治的な祭祀と競合するものであった。同じ島の内部に、二つの祭祀の中心が並び立っていたことになる。
文化的足跡
この神が知られているのは、破壊された記録によってである。破壊しに来た側が像を詳しく描写したからこそ、その姿が今日まで伝わっている。
スラヴの神々をめぐる資料の大半がこの性格を持つ。神殿を焼き、像を倒した者たちの報告書が、その神殿と像についての唯一の証言になっている。ルギェヴィトの七つの顔と八本の剣は、斧を手にした司教の随員が見たままの記録である。