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オサキ
PLATE — オサキ
YAMATO · 日本神話
オサキ

オサキ

おさき · 尾先 · 尾裂

竜斎閑人正澄『狂歌百物語』(1853年)オサキ図 PUBLIC DOMAIN

関東の山村に伝わる狐の憑き物。管狐と同類で、これを持つ家はオサキモチと呼ばれ忌避された。九尾の狐の破片から生じたという伝説もある。

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解説

概要

オサキ(尾先、尾裂、御先)は、関東地方の山村に伝わる狐の憑き物。オサキギツネともいう。埼玉県秩父、東京都奥多摩、群馬・栃木・茨城、長野県佐久などに分布する。管狐と同類とされ、これを持つ家は「オサキモチ」と呼ばれて忌避された。姿は文献ごとにまちまちで、イタチに似た小獣とも、ネズミとフクロウの雑種のようなものともいう。関東北部において、飯綱人狐と並ぶ、憑き物筋の中心をなす存在である。

由来と物語

江戸中期ごろから文献に現れ、管狐と同類とする説や、秩父を起源とする説がある。名の由来も一定しない。曲亭馬琴らの『兎園小説』は、尾が二股に裂けているために「尾裂」だとし、神の眷属を意味するミサキが語源だとする説もある。

起源をめぐっては、九尾の狐に結びつける伝説が名高い。那須野で滅んだ九尾の狐が殺生石と化し、のちに源翁心昭がその祟りを鎮めようと殺生石を割ったとき、砕けた破片の一つが上野国(現・群馬県)へ飛来してオサキになった、というものである。九尾の狐の尾から生じたために「尾先」だとも語られる。関東の狐の伝承と、殺生石の物語とが、ここで結びついている。

なぜか多摩を除く東京にはオサキの伝承がない。これは、オサキが戸田川を渡れないため、あるいは関東八州の狐の親分である王子稲荷神社があるためにオサキが江戸へ入れないためだ、と説明された。狐の勢力圏を地理として語るこの発想は、憑き物信仰が土地の秩序と結びついていたことを示している。

図像と象徴

姿は土地や文献によってまったく異なる。曲亭馬琴『曲亭雑記』は狐より小さいイタチに似た獣とし、群馬県南牧村付近ではイタチとネズミ、あるいはフクロウとネズミの雑種のようなものとも、ハツカネズミよりやや大きいものともいう。色も斑・橙・茶と灰の混合など様々で、頭から尾まで黒い一本線が走る、尾が裂けているなどとも語られた。本項に掲げるのは、竜斎閑人正澄が『狂歌百物語』(1853年)に描いたオサキである。

象徴として読めば、姿の定まらなさそのものが、この憑き物の性格をよく表している。見えない、あるいは使い手にしか見えないとされる憑き物は、確たる形を持たない。その空白に、土地ごとの想像が様々な獣の姿を書き込んだ。

関わる伝承

オサキを持つ家は、オサキモチ、オサキ屋などと呼ばれた。オサキは常に姿を見せず、金銀や米穀を心のままに他家から運んでくるので、その家は富むとされる。世間はオサキモチを避け、縁組もオサキモチどうしで行った。オサキの家から嫁を迎えた家もオサキモチになると信じられ、婚姻をめぐる社会的緊張の原因となった。群馬県には、オサキモチの家の前は走って通り、その田畑は借りないという暗黙のルールが設けられた土地もあった。

管狐人狐犬神といった各地の憑き物と一つの網をなす。クダとオサキはともに尾が裂けて太いといった区別も語られた。個人に憑いた場合は、狐憑き同様に発熱・興奮・大食・奇行などの症状が現れるとされた。

文化的足跡

オサキモチの観念は、近代に至るまで婚姻や交際における現実の差別として、名指しされた家々を苦しめた。柳田國男や石塚尊俊、吉田禎吾らの民俗学・社会人類学は、この俗信を、新興の富裕な家への周囲の羨望と警戒が生んだものとして分析してきた。

今日、オサキの名は妖怪事典や民俗学の書物のなかに伝えられている。九尾の狐の破片という華やかな起源譚を持ちながら、その実態は、共同体のなかの富の偏りと排除の力学を映す、憑き物筋の記憶であった。

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領分・別名

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資料

Wikidata
Q11291912 — 骨格データの出典
Commons
Osaki (yokai) — 図像カテゴリ