マートゥータ
マーテル・マートゥータ · マテル・マトゥタ
ローマの古い暁と母性の女神。フォルム・ボアリウムでフォルトゥーナと双子神殿を成し、六月十一日の祭では一度だけ結婚した女性が姉妹の子のために祈った。
解説
概要
マートゥータ(Māter Mātūta、マーテル・マートゥータ)は、ローマのごく古い層に属する女神である。名は「母」と、朝を意味する語群(mātūtīnus=朝の、mātūrus=熟した)から成る。ルクレティウス『物の本性について』は曙そのものをマートゥータの名で呼んでおり、暁の女神という理解は古代にさかのぼる。一方で祭儀の内容は母と子をめぐるものであり、この二面をどう繋ぐかが今も論点である。ジョルジュ・デュメジルは暁の側面を核と見たが、出産と成育を司る母神と捉える立場も根強い。
神話・物語
固有の神話は伝わらない。代わりに祭祀が語られる。神殿はフォルム・ボアリウムにあり、フォルトゥーナの神殿と並び立つ双子神殿を成した。伝承は創建をセルウィウス・トゥッリウス王に帰し、前396年にカミッルスが再建したとリウィウス『ローマ建国以来の歴史』は記す。サンタ・オモボーノ教会の下の発掘で前6世紀にさかのぼる二基の神殿基壇が確認されており、祭祀が古いこと自体は裏づけられている。
6月11日のマートラーリアに参加できるのは、一度だけ結婚した女性に限られた。彼女たちは自分の子ではなく姉妹の子を腕に抱いて祈り、また女奴隷を一人神殿に引き入れて打ちながら追い出したという。プルタルコスは『ローマ問答』でこの一連の奇妙な作法を並べ、いくつかの解釈を示したうえで、いずれとも断じていない。
オウィディウス『祭暦』第6巻は、この女神をギリシアのイーノー=レウコテアーと同一視する。狂気の夫から逃れて海に身を投げ、海の女神となった女がイタリアに漂着してマートゥータになったとし、姉妹の子のために祈る作法を、姉の子を育てたイーノーの物語で説明した。ローマの古い祭儀に、ギリシアの物語が後から接がれた例である。
図像と象徴
確実にこの女神を表すと言える古代の像はない。しばしば挙げられるのは、カプア近郊クルティの聖域から出た凝灰岩の座像群である。襁褓に包まれた乳児を膝や腕に抱えた女性を彫った奉献像が百体以上出土しており、ベルリン旧博物館の一例は、玉座に座る女性の左右に子どもを配して素朴な正面性を保つ。前3世紀から前2世紀にかけての作である。
ただし「マーテル・マートゥータ像」という呼び名は近代の博物館的な命名であり、この聖域の碑文に彼女の名は現れない。母と子という主題が共通するために結びつけられてきたにすぎない。キアンチャーノ出土のエトルリアの骨壺像に付された同名の通称も、同じく後世の命名である。図像から祭祀を復元する際に、名札のほうを先に信じてはならない事例といえる。
系譜と関係
系譜は語られず、関係は祭祀の場によって結ばれている。フォルトゥーナとの並置、6月11日という祭日、港と市場という立地は、フォルム・ボアリウムの古層に共通する性格である。オウィディウスの同一視に従えば、イーノーの子メリケルテースは港の神ポルトゥーヌスにあたり、母子ともにこの一帯の水辺の祭祀に結びつく。
暁を司るという点ではアウローラと重なるが、アウローラが祭祀を持たない詩の女神であるのに対し、マートゥータは神殿と祭日を持つ祭祀の対象であった。両者を同じ女神の別名として扱うことはできない。
文化的足跡
帝政期以降、この祭祀は目立たなくなる。近代になって注目を集めたのは、むしろ研究史のなかでのことであった。マートラーリアの奇妙な所作——姉妹の子への祈り、女奴隷の追放——は、ローマ社会における婚姻と母性の位置を読む手がかりとして、比較神話学と社会史の双方から繰り返し論じられている。カプアの座像群は、現在カプアのカンパーノ博物館の中核をなす展示となっている。