ママ・オクリョ
ママ・オクリョ · ママ・オクリョ・ワコ · ママ・オジョ
インカ王朝の始祖マンコ・カパックの姉にして妻。最初のコヤ(王妃)とされ、女たちに紡ぎと機織を教えたと伝えられる。
解説
概要
ママ・オクリョ(Mama Uqllu)は、インカ神話において王朝の始祖マンコ・カパックの姉にして妻とされる女神である。最初のコヤ、すなわち王妃として、クスコの創建に加わったと伝えられる。大地の実りを司る豊穣の女神としての性格も帯びる。
彼女の名は、インカ王家において繰り返し用いられた。15世紀にトゥパック・インカ・ユパンキの妃となった実在の王妃も同じ名を負う。両者は別の存在であり、混同しないよう注意を要する。
神話・物語
系譜は伝承によって割れる。太陽神インティと月の女神ママ・キリャの娘とする伝えがある一方で、創造神ビラコチャと海の女神ママ・コチャの娘とする伝えもある。いずれの系統でも、彼女はマンコ・カパックの姉であり妻である。
始祖伝説では、彼女は兄弟姉妹とともにパカリタンボの洞窟から、あるいはティティカカ湖の水中から現れる。ペドロ・サルミエント・デ・ガンボアの記す八人の始祖のうち、女はママ・オクリョ、ママ・ワコ、ママ・イパクラ、ママ・ラウアの四人である。四人のうちママ・ワコは武を執って敵を打ち破る役を担い、ママ・オクリョは技芸を伝える役を担うという、対照的な性格づけがなされている。
クスコに定まった後、彼女は女たちに羊毛と綿を紡ぎ、布を織る術を教えたとされる。アンデスにおいて織物は貢納と贈与の中心にある財であり、装いは身分そのものを示した。技芸の起源を始祖の女神に帰する語りは、その重みに見合っている。マンコ・カパックとのあいだに生まれたシンチ・ロカが次代の王となり、以後の歴代インカはすべてこの二人の裔と信じられた。
図像と象徴
先スペイン期の作例は残っていない。彼女の姿を伝えるのは、いずれも植民地期以降にペルーで描かれた肖像画である。18世紀から19世紀にかけて、歴代インカ王と王妃を一人ずつ描く連作が数多く制作され、彼女はその冒頭を占めた。
サン・アントニオ美術館が所蔵する1840年頃の作例では、幾何文様を織り出した貫頭衣アクスをまとい、肩に掛けた肩掛けリクリャを、頭の平たい大ぶりの留め針トゥプで留める。額には王妃の房飾りが下がる。装身具の細部はインカの実物に忠実である一方、顔立ちと陰影の付け方はヨーロッパの肖像画法に倣う。同じ主題を扱った「偉大なるニュスタ、ママ・オコリョ」と題される19世紀初頭の一枚も知られる。これらは独立前後の時期に、クリオーリョとインカ貴族の双方が自らの由緒をインカに求めた文脈で描かれた図像であり、当時の実像ではない。
系譜と関係
母をママ・キリャとする系譜と、ママ・コチャとする系譜が並び立つ。兄にして夫はマンコ・カパック、子はシンチ・ロカである。母なる大地パチャママとは、実りを司る性格において重なるが、両者は別の存在として語られる。パチャママが特定の系譜に収まらない普遍的な力であるのに対し、彼女はあくまで王家の始祖という位置に立つ。
文化的足跡
姉弟婚という王家の慣行は、この二人の始祖に淵源が求められた。血の純粋を保つという名目は、実際には王位継承をめぐる権力の集中を支える仕組みでもあった。今日、ティティカカ湖畔のコパカバーナやペルー各地には、彼女とマンコ・カパックを並べた記念碑が建つ。祭礼の行列や民俗舞踊のなかにも、最初の王妃としての彼女の姿は受け継がれている。