レーテー
レテ · レーテ · Lēthē
冥界を流れる忘却の河。その水を飲んだ者は前世の記憶を失う。「真実」を意味するアレーテイアはこの名の否定形にあたる。
解説
概要
レーテー(Λήθη / Lethe)は、冥界を流れる河である。名はギリシア語で「忘却」「隠されていること」を意味する。この水を飲んだ者は、完全な忘却を経験する。
河であると同時に、ナーイアス(水のニュンペー)でもあるとされるが、精としてよりも「忘却」という観念そのものとして扱われることが多い。ヘーシオドス『神統記』は、不和の女神エリスの娘の一人に数える。
神話・物語
この河が担うのは、輪廻をめぐる観念である。古代ギリシアの一部の人々は、魂が転生する前にこの水を飲まされるため、前世の記憶を失うのだと考えた。
プラトン『国家』最終巻の「エルの物語」は、その最も詳しい記述である。死後の裁きを経た魂たちは「レーテーの平野」に至り、そこを流れるアメレース(「無頓着」の意)の河の水を飲む。飲めば飲むほど記憶を失うが、賢明な者はほどよく飲んで留めるのだという。忘却が転生の条件として制度化されている。
これに対して、密儀宗教は別の道を示した。記憶の女神ムネーモシュネーの名を負う泉があり、その水を飲めばすべてを記憶して全知に達する。入信者は、死後にレーテーではなくムネーモシュネーの水を選ぶよう教えられた。南イタリアのトゥリオイをはじめ各地から出土した前4世紀以降のオルペウス教の黄金板には、この二つの水源の名を含む韻文が刻まれている。「レーテーの泉の水は飲むな。左手のムネーモシュネーの泉へ行け」という趣旨の指示である。死者の口に納められた金の薄板が、あの世での振る舞いを教えていたことになる。
ボイオーティアのトロポーニオスの神託所にも、レーテーとムネーモシュネーの二つの泉があった。参詣者は神の託宣を受ける前にこの水を飲んだと伝えられる。忘れることと憶えることを、儀礼として飲み分ける——観念が実際の祭祀のかたちを取っていたのである。
言葉のうえでも、この名は重い。ギリシア語で「真実」を意味するアレーテイア(ἀλήθεια)は、レーテーに否定の接頭辞を付けた形であり、字義は「忘却されていないこと」「隠されていないこと」となる。真実とは覆いが取り除かれた状態だという理解が、語そのものに刻まれている。
図像と象徴
レーテーを名指した古代の作例は知られていない。忘却という観念に姿を与えることの難しさが、そのまま作例の欠如に現れている。本項では主画像を置いていない。
黄金板は図像ではなく文字による資料だが、この河をめぐる観念を最も直接に伝える遺物である。
関係する神格・退治した英雄
エリスの娘とされる。ムネーモシュネーと対をなし、忘却と記憶という一対の観念を分け合う。冥界の河としてはアケローン、コーキュートス、ステュクス、プレゲトーンと並ぶ。
文化的足跡
マルティン・ハイデガーは、この語を哲学の中心概念に据えた。存在が隠され忘却されていること(レーテー)と、それが覆いを取られること(アレーテイア)の対を、真理論の枠組みとしたのである。ニーチェ論、パルメニデス講義に用例がある。神話の河の名が、20世紀の存在論の術語になったことになる。
文学における用例は数えきれない。ダンテ『神曲』では、レーテーは煉獄の山頂のエデンの園に発し、地の中心へ向かって流れる。悔悟を終えた魂は、この水を飲んで罪の記憶を洗い落とす——罰ではなく浄めの水として置かれている。ジョン・キーツ『憂鬱のオード』は「いや、いや、レーテーへ行ってはならぬ」と始まり、『ナイチンゲールに寄せて』にも同じ語が現れる。バイロン、ポー、ボードレールも用いた。
スペイン、ガリシア地方のリミア川は、渡れば記憶を失うと古代から言われていた。前138年、ローマの将軍デキムス・ユニウス・ブルートゥスは軍を進めるためにこの伝説と戦った。単身で川を渡り、対岸から兵士一人ひとりの名を呼んでみせたのである。将軍が名を忘れていないと知った兵士たちは、恐れずに渡った。神話が軍事作戦の障害となり、実演によって解除されたという、めずらしい記録である。