クマリ
クマリ・デヴィ · 生き神 · リヴィング・ゴッデス
ネパールで女神タレジュの生きた顕現とされる少女。カトマンズ盆地のネワール社会に伝わる慣行で、ヒンドゥーと仏教の双方から崇敬を集める。
解説
概要
クマリ(Kumārī / कुमारी)は、ネパールのカトマンズ盆地で、女神タレジュの生きた顕現として崇敬される少女を指す。語はサンスクリットで「未婚の若い女性」を意味する。ネワール社会のシャーキャ・バジュラーチャーリヤ両氏族から選ばれた初潮前の少女がその位に就き、ヒンドゥー教と仏教の双方の信徒から礼拝を受ける。盆地内には複数のクマリがおり、カトマンズのダルバール広場に面したクマリの館(クマリ・ガル)に住む「王室クマリ」が最もよく知られる。ほかにパタン、バクタプル、ブンガマティなどにもそれぞれのクマリがいる。本項が扱うのは神話上の神格ではなく、現に営まれている宗教慣行である。
神話・物語
少女を神的な力の宿る器として崇める習わしは古く、1280年のアナンタ・マッラ王治世の碑文に記録が現れる。口伝と儀礼の伝承はさらにリッチャヴィ期(およそ400〜750年)にまで遡るとされるが、王権と結びついた制度としての成立はマッラ朝期に求められるのが通例である。
最も広く語られる縁起は、カンティプル(カトマンズ)の王ジャヤプラカーシュ・マッラをめぐるものである。女神タレジュは夜ごと王のもとを訪れ、賽の遊戯トリパーサを共にしていた。ただし逢瀬を誰にも語らぬことが条件であった。ある夜、王の娘が父の後をつけて女神の姿を見てしまう。怒った女神は姿を消し、のちに王の夢に現れて、シャーキャ氏族の少女のうちに自らが顕れるであろうから探すよう告げた。王室クマリの制度はここに始まると伝えられる。年代記のなかには、トライロキヤ・マッラ王(16世紀後半)を制度の整備者とするものもある。
シャー朝の時代には、インドラ・ジャートラーの祭で王がクマリの前に頭を垂れ、額に印(ティカー)を受けることが、王権の正統性を確認する儀礼となっていた。2008年に王制が廃されたのちは、大統領が同様の役割を果たしている。
図像と象徴
クマリは石や絵に表された像ではなく、生身の少女に女神が宿るとされる点に特徴がある。シャークタ派の聖典『デーヴィー・マーハートミヤ』が「われはあらゆる女性のうちに住まう」と説くところの、その具体的な現れとして理解されてきた。赤と金の衣をまとい、髪を頭上で結い、額には「火の眼」を意味するアグニ・チャクシュが描かれる。館の外では足が地に触れることのないよう、金の輿に乗るか従者に運ばれる。
信徒はクマリの館の中庭に集まり、格子窓越しにその姿を仰ぐ。謁見を許された者は床に坐して供物を捧げる。その所作はことごとく吉凶の兆しとして読まれ、静かに動かぬままであれば願いは聞き届けられたとされる。タントラ文献『ジュニャーナールナヴァ・ルドラヤーマラ』は、年齢ごとに異なる女神の名を配当している。
系譜と関係
タレジュ・バワニはドゥルガーの一形態で、マッラ朝の王家守護神(クラデーヴィー)であった。クマリはその生きた器と位置づけられる。血を見たとき——多くは初潮を迎えたとき、あるいは事故による出血によって——女神は身体を離れるとされ、その時点で後継者の探索が始まる。ブンガマティのクマリの場合は、最初の乳歯が抜けたときが交代の時期とされる。選定は上級のバジュラーチャーリヤ僧、国家祭司、主席占星術師らが監督し、健康であること、傷や痣がないこと、血を流したことがないことなどが条件とされる。ヒンドゥーの図像学が説く三十二の身体的条件が参照されるという。
なお、選考にまつわる俗説には注意がいる。元王室クマリのラシュミラ・シャーキャは、生首と仮面の男が並ぶ「恐怖の部屋」で胆力を試すという広く流布した話を否定し、それは候補者の試験ではなく、就任後に毎年行われる儀礼であると述べている。身体検査についても、侵襲的なものではないと証言している。
文化的足跡
クマリの慣行は、少女の教育と遊びを制限するとして子どもの権利の観点から批判を受けてきた。2006年、ネパール最高裁判所は、宗教的意義を尊重しつつも、この慣行が児童の権利を侵害していないかを検討するよう政府に指示した。以後、正規の教育の提供や退任後の年金支給といった改革が導入されている。現在のカトマンズのクマリは、館内でネパール語・英語・算数の授業を日々受ける。退任後は通常の生活に戻るが、外の世界への適応に困難を伴うことも指摘されている。
制度の是非をめぐる評価は立場によって分かれており、宗教的伝統の継承と児童の権利保障をどう両立させるかという論点として、現在も議論が続いている。国外の関心も高く、2008年のドキュメンタリー『リヴィング・ゴッデス』は三人のクマリの生活と当時の政変を記録した。