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牛頭天王
PLATE — 牛頭天王
YAMATO · 日本神話
牛頭天王

牛頭天王

ごずてんのう · 武塔神 · 武答天神

吉野曼荼羅図(南北朝時代)部分/西大寺蔵 PUBLIC DOMAIN

京都の祇園社の祭神とされた神仏習合の神。疫病を司り、蘇民将来の説話を通じて除災の神となり、やがてスサノオと習合した。

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解説

概要

牛頭天王(ごずてんのう)は、日本で形づくられた習合の神である。釈迦の説法した祇園精舎の守護神と説明され、疫病を司る行疫神として、また疫病を退ける除疫神として信仰された。京都東山の感神院祇園社(現在の八坂神社)の祭神とされ、そこから全国の祇園社・天王社へ勧請された。本地垂迹では薬師如来を本地仏とし、スサノオの本地ともされる。

名も姿もインド由来を装うが、インド・中国・朝鮮にこれに相当する神が信仰された痕跡はない。現在の学説では、日本で独自に成立した神とみるのが一般的である。

由来と縁起

もっとも古い層は、『釈日本紀』に引かれた『備後国風土記』逸文の蘇民将来説話である。ここに牛頭天王の名はなく、旅の神は「武塔神」と記され、みずからを速須佐雄と名乗る。宿を乞うて富裕な弟の巨旦将来に断られ、貧しい兄の蘇民将来に歓待された神が、蘇民の子孫には疫病を免れさせると約束する——この話が、のちの牛頭天王信仰の骨格となった。

中世の『祇園牛頭天王御縁起』や『簠簋内伝』は、これを大きな物語に仕立てる。牛頭天王は豊饒国の太子として生まれ、七歳で身長七尺五寸、三尺の牛の頭と赤い角をもった。その恐ろしい姿ゆえに后を得られず酒に沈んでいたが、人語を話す山鳩に導かれて龍宮へ赴き、沙掲羅龍王の娘・頗梨采女を娶って八人の王子(八王子)をもうける。帰路、宿を断った巨旦将来に八万四千の眷属を差し向けて報復し、ただ蘇民の娘であった巨旦の妻だけを助けて、茅の輪と「蘇民将来之子孫」の護符による除災の法を授けた。

祇園社の由緒についても異伝がある。播磨の明石浦から広峰、次いで京の東山へ遷ったとする説は、室町期に吉田神道が採ったことで通説となったが、久保田収は、平安期の文献に広峰社が一切現れないことなどを挙げてこれを否定した。平安の記録で祇園社の祭神は「天神」「祇園天神」と記されるにとどまり、明確に牛頭天王とされるのは鎌倉以降の文献である。当初の祭神が牛頭天王でなかった可能性も指摘されている。

図像と象徴

『簠簋内伝』は、黄牛の面を頭に着け、斧と羂索を執る忿怒相として描く。一面四臂で人を掴み、あるいは踏みつける図もあれば、左手に宝珠を捧げるだけの簡素な立像もあり、造形は一定しない。牛の頭という一点だけが、この神を見分ける徴である。

本項に掲げるのは、西大寺所蔵の吉野曼荼羅図(南北朝時代)に描かれた牛頭天王である。曼荼羅の枠内に配されるこの姿は、牛頭天王が仏教の図像体系のなかに正式な位置を与えられていたことを示す。

平安期の『辟邪絵』(奈良国立博物館蔵、国宝)には、疫神を捕らえて食う天刑星が描かれる。陰陽道では牛頭天王は天道神・天刑星と同一視されもしたが、この絵では食われる側に置かれている。疫病を起こす神と鎮める神との境が流動的であったことが、ここに見て取れる。

系譜と関係

后は頗梨采女、子は八王子。中世の神道書『神道集』は、牛頭天王を天刑星・武答天神・天道神と重ね、スサノオとの習合を進めた。天から追われた「荒ぶる神」であるスサノオと、荒魂を鎮めれば除疫神に転じる牛頭天王とが、性格の上で結びついたものと考えられる。『先代旧事本紀』は、大国主の荒魂を牛頭天王とする別の説を立てている。

スサノオが新羅の曽尸茂梨(ソシモリ)に降ったという『日本書紀』一書の記述を、朝鮮語で牛頭を意味する語と結びつける説は古くから唱えられてきた。ただしこの説は江戸から明治にかけて復古神道の影響下で強調された経緯があり、神仏分離と国家神道の政治的文脈を抜きに評価することはできない。定説は確立していない。

疫病を鎮めるために祟る神を祀るという構造は、御霊信仰と共通する。祇園御霊会が牛頭天王の祭礼として展開したのは、この共通性による。

文化的足跡

祇園御霊会は、疫病の流行しやすい旧暦六月に営まれ、やがて山鉾を出して市中を練る祇園祭となった。津島神社の天王祭、各地の蘇民祭など、牛頭天王にちなむ祭礼は全国に伝わる。夏越の祓の茅の輪くぐりも、蘇民将来説話に由来する。天王洲・天王町といった「天王」を含む地名の多くは、この神を祀る社に由来する。

明治の神仏分離は、この神に決定的な打撃を与えた。感神院祇園社は廃寺に追い込まれて八坂神社に改組され、全国の祇園社・天王社はスサノオを祭神とする神社へ強制的に再編された。今日、八坂神社の祭神が素戔嗚尊とされるのはこの結果であって、中世以来の信仰の形ではない。少数ながら、牛頭天王を祀り続けた寺院も各地に残っている。

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領分・別名

INTERPRETATIO — 同一視・同源
スサノオ 日本神話 同一視
中世の神仏習合。『備後国風土記』逸文の武塔神が速須佐雄と名乗る記述に始まり、『神道集』などで牛頭天王とスサノオの同一視が定着した。明治の神仏分離により祇園社・天王社の祭神は素戔嗚尊へ一本化された
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資料

Wikidata
Q11570247 — 骨格データの出典
Commons
Gozu Tennō in art — 図像カテゴリ