ガマユン
ガマユーン · ガマユン鳥 · Гамаюн
ロシアの書物のなかに現れる楽園の鳥。17〜19世紀の文献では脚も翼もなく尾だけで飛び続け、地に落ちれば要人の死を告げるとされた。女の顔を得たのは19世紀末の絵画においてである。
解説
概要
ガマユン(Гамаю́н / Gamayun)は、ロシアの書物のなかに現れる楽園の鳥である。シリン、アルコノストと並べて「三羽の楽園の鳥」と称されることが多いが、この鳥にはひとつ決定的な違いがある。スラヴ神話の民間伝承にガマユンの存在を示す確かな資料は、いまのところ知られていない。書物と紋章のなかだけに生きてきた鳥である。
名はイランのフマー(هما)に遡る。頭上を低く飛べばその者に王権をもたらすという幸運の鳥で、その形容詞フマーユーン(「めでたい、高貴な、皇帝の」)が訛ってガマユンになったとされる。15世紀末から17世紀初頭のロシアの外交文書には、オスマンやペルシアの君主への称号の一部として「ガマユンに倣う者」という句が現れる。
登場する物語
ロシアの書物にこの鳥が最初に現れるのは、6世紀のコスマス・インディコプレウステース『キリスト教地誌』の翻訳を通じてである。17世紀の『コスモグラフィヤ』では、ガマユンは不死鳥やハラドルとともに東の海の島々、とりわけ楽園にほど近いマカリヤ島に飛来し、妙なる香りを放つとされる。
18世紀の『博物誌』が伝える姿はさらに奇異である。雀よりやや大きく、羽色は美しく多彩だが、脚も翼もない。尾は七プャジ(約1.25メートル)あり、その尾だけで飛び続ける。もし地に落ちれば死に、それは高貴な人物の死を予告する——。同じ鳥は、当時のロシアの書物のなかでアプス、マヌコディヤータ、パラディゼアなどとも呼ばれた。決して休まないとも、背の腱や羽根で枯れ木に引っかかって休むとも書かれている。
物語らしい物語はこれだけである。ガマユンには冒険も系譜も配偶者もない。あるのは、飛び続けること、そして落ちれば誰かの死を告げること——ただそれだけである。
図像と象徴
この鳥の造形の変化そのものが、ひとつの物語をなしている。最初は脚も翼もなかった。やがて翼と脚が生え、最後に女の顔がついた。
出発点にあるのは実物である。16世紀初頭から、ニューギニアとモルッカ諸島の極楽鳥の剝製がヨーロッパへ入ってきた。現地の人々は魔除けに使うため脚と翼を切り落としてから乾かしていたので、届いた標本には脚も翼もなかった。天から飛来する鳥だという現地の話も添えられ、スカリゲルやゲスナーのような博物学者までが、極楽鳥は尾だけで飛び、決して地に降りないと信じた。リンネが1758年にオオフウチョウへ与えた学名 Paradisaea apoda(「脚なき極楽鳥」)は、その誤解の化石である。真相が知られたのは1782年のことだった。
ロシアでは、この脚なき鳥は装飾と紋章の意匠になった。1614年には皇帝ミハイル・フョードロヴィチのために「ガマユン鳥」の器が買われ、1656年のリガ遠征では黒いタフタの隊旗にガマユンが縫いつけられた。1690年に鋳造された大砲「ガマユン」には、脚のない鳥が浮き彫りにされている。スモレンスクの紋章では、大砲の上に脚のない楽園の鳥が載る形が17世紀後半から確認でき、1856年制定の県紋章にいたってこの鳥はようやく「脚で立った」。カリオン・イストミンの絵入り初等読本(1694年)に彫られたガマユンは、首を伸ばし羽を箒のように広げた、針鼠のような姿である。なお、シリンやアルコノストと違って、ガマユンがルボークに描かれることは一度もなかった。
関わる伝承
三羽の楽園の鳥として並べられるシリン、アルコノストとは、出自の層が違う。前二者はギリシアのセイレーンとアルキュオネに発してビザンツ経由で入り、ルボークを通じて民衆の目に触れた。ガマユンはイランの幸運の鳥と極楽鳥の剝製から生まれ、書物と紋章のなかにとどまった。三羽が一組として語られるようになるのは、19世紀以降の文学と絵画においてである。
ロシアの方言には、「騒がしい人」「働き者の家長」を意味する同音異義のガマユン(гам「騒ぎ」に由来)があり、姓ガマユーノフや地名の由来となった。ウラル地方の考古学上の「ガマユン文化」の名もこの語に遡る。楽園の鳥とは関係がない。
文化的足跡
女の顔を与えたのはヴィクトル・ヴァスネツォフである。1897年の《ガマユン、予言の鳥》は、黒い翼を垂らし、水面に張り出した枝にとまり、幼さの残る顔で何かを見つめて怯えている鳥を描く。書物の記述とはほとんど関係がなく、むしろアルコノストの図像との混淆に近い。1899年、アレクサンドル・ブロークはこの絵から同名の詩を書いた。彼のガマユンは「悪しきタタールの軛」と血の処刑と飢饉と火を予告し、その唇には血が乾いている。ショスタコーヴィチが1967年にこの詩へ曲をつけた。以後ガマユンは、幸福の鳥であるより先に、災いを告げる鳥として記憶されることになる。本ページの図版もこのヴァスネツォフの絵であり、書物のガマユンとは別の像であることは断っておく必要がある。
もう一つ、記憶の作られ方として見過ごせない例がある。1992年、アレクサンドル・アソフが『ガマユン鳥の歌』を刊行した。古代スラヴの「結縄文字」の擬似復元を土台にした創作であり、ヴェレスの書と合本で出された。そこでガマユンはヴェレスの使者として東から飛来し、選ばれた者に過去と未来を語る。この本は大部数で全国の図書館に配られ、ロドノヴェーリエが各地で一斉に興る契機となった。今日「古代スラヴの予言の鳥ガマユン」として流通する説明の多くは、17世紀の書物ではなくこの1992年の本に由来している。