バーンニク
バンニク · バーニク · バーエンニク
ロシアの蒸し風呂バーニャに棲む精霊。人が去ったあとの湯を最後に使い、作法を破った者には熱湯を浴びせ、蒸し殺しもする。戸口から背を差し入れると、掌で撫でるか爪を立てるかで吉凶を告げた。
解説
概要
バーンニク(Ба́нник / Bannik)は、東スラヴの蒸し風呂バーニャに棲むとされる精霊である。名はバーニャそのものに由来する。母屋の家の精ドモヴォーイと同じ「屋敷まわりの精霊」の一族に数えられるが、その性格ははるかに剣呑で、不浄なる力のうちでも端的に「善くない霊」と呼ばれた。
バーニャは体を洗うための小屋であるだけではない。出産がそこで行われ、病人が運び込まれ、婚礼前の花嫁が沐浴し、娘たちが占いをした。日常の秩序の外にある建物であり、聖像を持ち込むことは避けられた。その空間の主が、この精霊である。
登場する物語
姿はふつう見えない。現れるときは、垢と枝葉にまみれた裸の老人であったり、髪の長い男であったりする。猪、犬、猫、蛙、白兎に変じるとも、竈の石そのものに化けるとも語られた。棲み処は焼け石を積んだ竈(カメンカ)の裏か、寝台状の棚(ポローク)の下である。
作法は明快である。人が三度(土地によっては四度)入り終えたあとの一巡は、この精霊のものとされた。だから最後に出る者は、桶に湯を残し、傍らに石鹸と樅の枝を置き、声に出して礼を述べてから戸を閉めねばならない。黒パンに粗塩を添えて供える地方もある。彼が使うのは、人の体から流れ落ちた汚れた湯だけだという。
この順を破った者に、バーンニクは容赦しない。熱湯を浴びせ、竈の石を投げつけ、壁を叩いて脅かす。悪くすれば皮を剝ぎ、蒸し殺す。浴場で起きた不始末はすべて彼のせいにされ、小屋が焼け落ちればそれは機嫌を損ねた徴と解された。建て直すときには、黒い雌鶏を羽をむしらぬまま絞め、敷居の下に埋める。人々は呪文を唱えながら、敷居に背を向けずに後ずさりして去った。
彼にはもう一つ、未来を告げる力があった。浴場の戸を半ば開け、肌を露わにした背を戸口へ差し入れる。掌で柔らかく撫でられれば吉、爪を立てられれば凶である。スヴャートキの真夜中には、未婚の娘たちがこの占いに列をなした。毛深い手で触れられれば裕福な婿、素手なら貧しい婿、濡れた手なら大酒飲みが来る、と。
図像と象徴
古い図像はない。この精霊を目に見える姿にしたのは19世紀以降の挿絵と民俗誌であり、なかでもイヴァン・ビリービンが1934年に描いた、水桶のかたわらにうずくまる小さな老人の姿がよく知られる。本ページの図版もそれである。
象徴の中心にあるのは、蒸気と湯と鉄である。湯は恵みであると同時に凶器であり、この精霊が与えるものと奪うものは同じ一つのものだった。他の邪なものと同様、彼は鉄を恐れるとされる。また、カメンカの上に干してある赤い頭巾は姿を隠す力を持ち、真夜中ちょうどであれば盗み出せると語られた。ただし盗んだら教会まで走らねばならない。間に合わなければ追いつかれて殺される。
関わる伝承
同じ屋敷を分けあう精霊たちがいる。母屋のドモヴォーイ、乾燥小屋のオヴィンニク、中庭のドヴォロヴォイ。持ち場は建物ごとに分かれ、バーンニクはそのうち最も危険な一室を受け持つ。女の姿をとる場合はバンニハ、バーエンナヤ・マートゥシュカ、あるいはオブデリハと呼ばれ、ポロークの下に住む蓬髪の恐ろしい老婆として語られた。知人を装って浴場へ誘い込み、蒸し殺すシシガという名も伝わる。
日本の伝承には、風呂場の垢を舐めるという垢嘗がいる。浴室という一室に固有の存在を立てる発想は両者に共通するが、垢嘗が汚れを舐めるだけの無害な妖怪であるのに対し、バーンニクは人を殺しうる。同じ場所から、まるで性格の違う存在が立ち上がっている。
文化的足跡
バーンニクの記録は、神話としてではなく民俗誌として蓄積された。19世紀末から20世紀初頭にかけて、マクシーモフの『不浄なる力、知られざる力、聖なる力』(1903年)やニキフォロフスキーの採集が、地方ごとの作法と禁忌を書きとめている。バーニャの習慣そのものが今日まで続いているため、この精霊は「かつて信じられていたもの」としてよりも、風呂場での礼儀作法の由来として語られることが多い。近年はゲームやアニメにスラヴの妖怪として登場することもある。