スペース
スペス · スペース・アウグスタ · Spes
ローマの希望の女神。前258年に神殿が建てられ、帝政期には皇帝の即位や後継者の誕生に際してスペース・アウグスタとして貨幣に刻まれた。開きかけの花を持って歩む古風な少女の姿で表される。
解説
概要
スペース(Spes)は、ローマで希望を神格化した女神である。名はラテン語でそのまま「希望」を意味する。国家の神殿を持つ一方、碑文からは私的な信仰を受けていたこともうかがえる。
共和政期の希望
共和政期、「古き希望」(スペース・ウェトゥス)の神殿がエスクィリーヌスの丘の東、のちのプラエネスティーナ門の近くにあったとされる。リーウィウス(2.51)は前477年、エトルリア軍がこの希望の神殿の近くまで迫ったと記すが、その時点で私的な祠以上のものであったかは疑われている。
記録のはっきりした神殿は、第一次ポエニ戦争中の前258年に執政官アウルス・アティリウス・カラティヌスが誓願し、野菜市場フォルム・ホリトリウムに建てたものである。暦では8月1日がその奉献の記念日とされた。神殿は前213年の大火と前31年の火災で焼け、後17年にゲルマニクスが再建した。
帝政期の希望
帝政期、スペースは皇帝の統治の展望を表す図像として貨幣に用いられた。スペース・アウグスタ——帝室の希望——は、新しい皇帝の即位、後継者の誕生に際して鋳造された。
クラウディウスは即位まもない41年頃、SPES AVGVSTA の銘を添えたスペースの像を貨幣に刻み、以後の皇帝もこの図柄を受け継いだ。
図像と象徴
本サイトが掲げるのは、トラヤヌス帝のドゥポンディウス貨幣である(103年頃)。裏面にスペースを描く。
貨幣においてスペースは、左手で衣の裾を持ち上げ、右手に開きかけの花——通常は百合あるいは芥子——を持って歩む若い女として表される。古風な衣と歩む姿勢が特徴で、アルカイック期のギリシア彫刻の少女像(コレー)の型を借りている。
開きかけの花が、この女神の象徴である。まだ開いていない花——これから開く可能性——が、希望の視覚的な表現になっている。
関わる神格・伝承
ギリシアのエルピスに対応する。ヘーシオドス『仕事と日』では、パンドーラーが甕の蓋を開けて災いを撒き散らしたとき、エルピスだけが縁の下に留まって外へ出なかったとされ、それが人間に残された恵みなのか、閉じ込められた災いなのかは古来解釈が分かれる。フィデース、パークスと並ぶ帝政期の政治的な擬人神。
文化的足跡
キリスト教は「信仰・希望・愛」の三徳においてスペースを取り込み、擬人像としての希望は錨を持つ女として中世以降に描かれた。ローマの貨幣の花を持つ女から、錨を持つ女への変化は、異教から教会への図像の移行を示す。