パークス
パクス · Pax · Pax Augusta
ローマの平和の女神。共和政末期の内戦ののち、アウグストゥスが帝国の安定を示すため崇拝を組織し、アラ・パーキス(平和の祭壇)を奉献した。オリーブの枝と豊穣の角を持つ。パークス・ロマーナの神格化。
解説
概要
パークス(Pax)は、ローマで平和を神格化した女神である。名はラテン語でそのまま「平和」を意味する。ギリシアのエイレーネーに対応するが、ローマで祭祀を受けるようになったのは共和政の末期から帝政の初めにかけてであり、内戦の終結を掲げたアウグストゥスの政治と切り離せない神格である。
祭祀と歴史
共和政期のローマに、平和の女神を祀る神殿は知られていない。女神の頭部に「PAXS」の銘を添えた前44年の貨幣が、早い例とされる。前31年のアクティウムの海戦ののち、オクタウィアヌス(のちのアウグストゥス)は小アジアのエペソスで、自らを「ローマ人民の自由の守り手」と称する銘の裏に、PAX の銘と女神の立像を刻んだ銀貨を発行した(前28年)。
前13年、アウグストゥスがヒスパニアとガリアから帰還すると、元老院はカンプス・マルティウスにアウグストゥスの平和の祭壇(アラ・パーキス・アウグスタエ)を建てることを決議した。祭壇は前9年1月30日に奉献され、アウグストゥス自身が『業績録』(12章)で述べるとおり、政務官・神官・ウェスタの巫女がここで毎年供犠を行うことになった。オウィディウス『祭暦』も1月30日の項でこの祭壇の祭を歌う。同じ『業績録』は、戦争のあいだ開かれているヤーヌス神殿の扉が、アウグストゥスの治下で三度閉じられたことを誇っている。平和は、皇帝が戦いに勝って初めてもたらすものとして示された。
75年、ウェスパシアヌスはユダヤ戦争の勝利ののち、フォルム・ローマーヌムの近くに平和の神殿を奉献し、エルサレム神殿から運んだ燭台などの戦利品を納めた。この神殿は192年の火災で損なわれ、セプティミウス・セウェルスのもとで再建されたが、その一室の壁には大理石に刻んだローマの都市図(フォルマ・ウルビス・ロマエ)が掲げられていた。
図像と象徴
貨幣のパークスは、オリーブの枝、豊穣の角、伝令の杖(カードゥーケウス)、笏を持つ女として表される。帝政期には、松明で武器の山に火をつける姿も現れ、戦争の終結を目に見える形で示した。本サイトの主画像は、前28年にエペソスで発行されたオクタウィアヌスの銀貨の裏面(ベルリン国立博物館貨幣室蔵)である。剣を踏んで立つパークスが伝令の杖を持ち、傍らには蛇の這い出す秘儀の箱(キスタ)が置かれ、全体を月桂冠が囲む。
アラ・パーキスの浮彫で、二人の幼児を膝に抱き、果実や家畜に囲まれて座る女性像は、大地の女神テッルース、イタリア、あるいはパークスとする説があり、決着していない。
系譜と関係
古代の資料に、パークスの親を記した典拠は見当たらない。ギリシアのエイレーネーはゼウスとテミスの娘で季節の女神ホーライの一柱とされるが、この系譜はローマの女神には引き継がれていない。帝政期にはコンコルディア(和合)、フィデース(信義)などとともに、皇帝の統治の徳目を表す神格の一つとして並べられた。
文化的足跡
アラ・パーキスは16世紀以降に断片が少しずつ見つかり、1937〜38年に組み直されてアウグストゥス廟の近くに置かれた。2006年からは、リチャード・マイヤー設計の展示施設に収められている。