スノー・ライオン
雪獅子 · ガンセンゲ · 瑞獅
チベットに伝わる白い体と青いたてがみをもつ霊獣。仏の座を支え、その咆哮は空を説く教えそのものとされる。
解説
概要
スノー・ライオン(チベット語 gangs seng ge、雪獅子)は、チベット仏教に伝わる霊獣である。白い体に、トルコ石のような青いたてがみを持つ姿で描かれ、雪山の峰から峰へと跳び移るとされる。恐れを知らぬ明朗さの体現とされ、方位では東を、四大では地を表す。虎・ガルダ・龍とともに「四つの尊厳」を構成する。
伝わる姿と働き
仏教美術における雪獅子の主な役目は、仏の座を支えることである。絵画でも彫刻でも、獅子座の左右に一頭ずつ配されるのが通例で、体は白く、たてがみ・尾・眉は青または緑に彩られる。多くは性別を明示しない中性の姿で描かれるが、雌雄を描き分ける場合は、向かって左に雄、右に雌を置く。
その咆哮には特別な意味が与えられている。雪獅子の声は空(śūnyatā)と勇気と真実の音を体現するとされ、仏の教えそのものと同義に扱われる。一度の咆哮で七頭の龍が空から落ちるとも語られる。仏典が釈迦の説法を「獅子吼」と呼ぶ伝統が、チベットではこの霊獣の像に結晶したといえる。
雌の雪獅子の乳は、心身の調和を取り戻す成分を含むとされ、聖なる薬にはその精髄が含まれると信じられた。この乳は法(ダルマ)の高潔さの比喩としても用いられる。ミラレパは、法を買い求めようとした男に対し、自分は雪のなかに独り立つ雪獅子であり、その乳を注ぐには金の器がいると答えたと伝えられる。
雪獅子をめぐる逆説もよく語られる。空を飛ぶわけではないが、その足は決して地に触れない。峰から峰へと跳び続ける存在として捉えられている。
図像と象徴
ライオンを神聖さと王権の徴とする発想は、エジプト・ギリシア・ローマ・ペルシア・インドと広く共有されてきた。仏教もこれを受け継ぎ、獅子座に坐す仏という図像を成立させている。注目すべきは、実際のライオンが棲まないチベットにおいて、この獣が雪山の霊獣として造形し直されたことである。白い体と青いたてがみは、雪と氷河の土地に置き換えられたライオンの姿にほかならない。
本項に掲げるのは、十五世紀のチベットのタンカ『ツォンカパ』に描かれた、獅子座を支える雪獅子一対の部分である。彩色は褪せているが、白い体躯と巻いたたてがみの造形をよく伝えている。
チベット原産の犬であるラサ・アプソは、絵に描かれる雪獅子に似ることから「チベットの狛犬」と呼ばれる。犬が雪獅子に似せて選ばれたのか、犬の姿が絵に影響したのかは分かっていない。
政治的な象徴として
一九〇九年から一九五九年まで、一頭または二頭一対の雪獅子はチベットの国章として用いられ、硬貨・切手・紙幣・旗に現れた。二頭の雪獅子を配した旗は、一九一二年に第十三代ダライ・ラマが古い軍旗をもとに定めたもので、現在もインドに拠点を置くチベット亡命政府が用いている。この旗は中華人民共和国では分離独立の象徴とみなされ、掲示が規制されている。
宗教上の霊獣が近代の政治的表象と分かちがたく結びついた例であり、この図像を扱う際には、仏教美術の文脈と現代政治の文脈とを混同しないよう注意がいる。
関わる霊獣
雪獅子は、虎・ガルダ・龍とともに四つの尊厳をなす。これら四獣は風馬(ルンタ)の旗の四隅に配され、中央には宝を背負う馬が置かれる。峠や屋根に張り渡されるこの旗は、風が経文と吉祥を運ぶという観念に立つ。ブータンの国旗に描かれる雷龍ドゥクも、同じ四獣の系譜に連なる。
文化的足跡
雪獅子はチベット文化圏の吉祥図像として、八吉祥や吉祥喜旋とともに寺院・家屋の装飾に 広く用いられてきた。正月や祭礼では、二人一組で雪獅子の被り物をまとって舞う獅子舞が行われる。中国語圏では「雪獅子」「瑞獅」と呼ばれ、明代の『西遊記』にも妖魔の一つとして雪獅の名が現れる。