サルース
サルス · サルース・セモニア · サルース・プーブリカ
個人と国家の安全・健康・繁栄を司るローマの女神。ローマ最古の女神の一柱で、前302年に神殿が奉献された。毎年8月5日に国家存続を祈る鳥占が行われた。
解説
概要
サルース(Salus)は、個人と国家の双方の安全・健康・繁栄を司るローマの女神である。名はラテン語で「安全」「救い」「無事」を意味する。
ギリシアのヒュギエイアと同一視されることがあるが、両者の職掌はかなり異なる。ヒュギエイアが個人の健康と衛生を司るのに対し、サルースが担うのはまず国家の安寧である。
ローマで最も古い女神の一柱に数えられる。サルース・セモニアとも呼ばれたことがあり、これはこの女神がセモネス(セモ・サンクス・ディウス・フィディウスなどの神々)の系列に属していた可能性を示唆する。
神話・物語
物語は伝わらない。この女神について残るのは、神殿と祭と儀礼である。
神殿は「サルース・プーブリカ・ポプリー・ローマーニー」(ローマ国民の公の安寧)として、前304年、サムニウム戦争のさなかに独裁官ガイウス・ユニウス・ブブルクス・ブルートゥスによって誓願され、前302年8月5日に奉献された。ガイウス・ファビウス・ピクトルの命によって壁画で飾られている。
祭祀の古さと重要さを伝えるのが、アウグリウム・サルーティス(安寧の鳥占)という、あまり知られていない儀礼である。毎年8月5日、ローマ国家の存続を祈って行われた。信仰はイタリア全土に広がっている。文献はフォルトゥーナやスペースとの関係を記録する。
やがてこの女神は、個人の健康の守護者としての性格も帯びるようになった。前180年ごろには、アポロー、アエスクラーピウス、サルースに捧げる犠牲の儀礼が行われている(リウィウス第40巻37章)。コンコルディア神殿にはこの女神の像があった。アエスクラーピウスの蛇と結びつけられた最も古い例は、前55年にM・アキリウスが鋳造した貨幣である。祭日は3月30日であった。
図像と象徴
本サイトが掲げるのは、ローマ期の女神像である(ゲティ・ヴィラ蔵)。
貨幣に刻まれた図像には強い定型がある。脚を組んで坐し、玉座の肘掛けに肘をつく。右手には浅い皿(パテラ)を差し出し、祭壇に巻きついた蛇に餌を与える。蛇は身を起こし、皿に頭を差し入れる。手が空で身振りだけのこともあり、蛇が女神と同じ方向を見つめることもある。祭壇がなく、蛇が玉座の肘掛けに巻きついている図もある。ときには左手に蛇の巻きついた長い杖を持つ。
蛇と皿という組み合わせは、ギリシアのヒュギエイアと共通する。ただしローマにおいてこの図像が意味したのは、個人の健康というより国家の無事である。ローマの貨幣は繰り返しこの女神を刻んだ。皇帝の治世の安泰を宣伝する図像として、これほど都合のよい神格はなかった。
関わる神格・伝承
セモ・サンクスとの関係が古くから論じられてきた。両者の社はクィリナーリスの丘の隣り合う二つの高み、コッリス・サルターリスとムキアーリスにあった。碑文の一部がサルターリスの丘で見つかっているとする研究者もいる。マクロビウスは、名を口にした者がその日を祭日として守らねばならない神々——サルース、セモニア、セイア、セゲティア、トゥティリーナ——を列挙し、その筆頭にこの女神を置く。これらはキルクス・マクシムスの谷の古い農耕祭祀に連なる神々とされるが、詳細は分かっていない。
ゲオルク・ヴィッソヴァ、エードゥアルト・ノルデン、クルト・ラッテといったドイツの研究者は、サルース・セモニアという神格について論じている。ただしこの名は後1年の碑文一例の最終行に現れるのみで、しかもその行は年代不明の後代の追加であることが認められている。他の碑文において、サルースがセモニアと結ばれることはない。
文化的足跡
ラテン語 salus は、そのままロマンス諸語の「健康」を意味する語になった。スペイン語 salud、イタリア語 salute、フランス語 salut。乾杯の言葉としても用いられる。
この女神が示すのは、ローマにおける「安寧」という観念の幅である。個人が病まないこと、国家が滅びないこと、そして皇帝の治世が続くこと。これらが一つの語で呼ばれ、一柱の女神に託されていた。ギリシアの同一視によってヒュギエイアと重ねられたとき、失われたのはこの幅のほうである。