マヌーチェフル
マヌーチェフル · マノーチフル · Manuchehr
ピーシュダード朝の八代目のシャー。フェリドゥーンが世界を三分したとき兄二人に殺された末子イラジの孫であり、その復讐を果たした。この兄弟殺しからイランとトゥーラーンの敵対が始まる。ザールとルーダーベの結婚を許した。
解説
概要
マヌーチェフル(中世ペルシア語マーヌシュチフル、アヴェスター語マヌシュチスラ)は、イランの伝説の王朝ピーシュダード朝の王で、フェルドウスィー『シャー・ナーメ』では第8代のシャーにあたる。世界を三人の息子に分け与えたフェリドゥーンの曾孫で、殺された祖父イラジの仇を討ってイランの王となった。
神話・物語
『シャー・ナーメ』によれば、フェリドゥーンは世界を三分し、長男サルムに西のルーム(ローマ)を、次男トゥールに東のトゥーラーンを、末子イラジに中央のイランを与えた。最もよい土地を得た末弟を妬んだ二人の兄は、イラジを殺した。イラジの娘が産んだ子がマヌーチェフルで、フェリドゥーンのもとで成長すると、軍を率いてトゥールとサルムを討ち、二人の首を祖父に届けた。イランとトゥーラーンの長い敵対はこの兄弟殺しから始まり、トゥールの末裔アフラースィヤーブとの争いへと続いていく。
マヌーチェフルは百二十年にわたって国を治めたとされる。その治世に、勇士サームの子ザールは、ザッハークの血を引くカーブルの王女ルーダーベとの結婚を望んだ。王ははじめこれを拒んだが、賢者たちがザールの知恵を試して認め、星占いも二人の子が偉大な英雄になると告げたため、結婚を許した。この二人から生まれたのがロスタムである。
『シャー・ナーメ』とは別の系統の伝承も残る。中世ペルシア語の文献や、11世紀のビールーニー『古代諸民族年代記』は、トゥーラーンのアフラースィヤーブがマヌーチェフルをカスピ海南岸の山地に追い詰めたのち和議が結ばれ、弓の名手アーラシュの放った矢の落ちた地が両国の境と定められたと伝える。
図像と象徴
写本の挿絵では、玉座に就いた王として描かれる。本サイトの主画像は、17世紀後半の『シャー・ナーメ』写本の挿絵で、玉座のマヌーチェフルを描いたものである。
系譜と関係
祖父はイラジ、曾祖父はフェリドゥーン。サルムとトゥールを討った。ザールとルーダーベの結婚を許した。
名はアヴェスターの『ファルヴァルディーン・ヤシュト』にも、「アイリヤの子マヌシュチスラ」として、その魂(フラワシ)が讃えられる者の一人に見える。イラジにあたるアイリヤの名は、「アーリヤ」すなわちイラン人の名と結びつけられている。
なおゾロアスター教は今日も信仰されている生きた宗教であり、本項の記述はその神格と伝承に関する学術的な整理である。