ラマッス
ラマス · ラマ · シェドゥ
人の頭・牡牛の身体・鷲の翼を合わせたメソポタミアの守護的存在。アッシリアの宮殿の門に対で据えられた。角の像は正面から立ち、側面から歩いて見えるよう脚が五本ある。
解説
概要
ラマッス(アッカド語 lamassu)は、メソポタミアの守護的存在。人の頭、牡牛または獅子の身体、鷲の翼を合わせた姿で、アッシリアの宮殿の門に一対で据えられた。人頭有翼牡牛像といえば、今日ではこの像を指す。
名は複雑な来歴をもつ。シュメール語では dlamma(ラマ)と呼ばれ、当初は女神であった。アッカド語で lamassu、その男性形が šēdu(シェドゥ)である。巨大な門番像そのものは aladlammû とも呼ばれた。ひとつの姿に、性別も呼び名も異なる複数の系統が流れ込んでいる。
登場する物語
物語の主役になることはない。この存在の役目は語られることではなく、立っていることである。
シュメール期のラマは、祈る者を神の前へ導く仲介の女神として現れる。円筒印章や献納像の「拝謁の場面」——礼拝者の手を取り、主神の前へ連れて行く女性——がそれにあたる。ウルクのイシュタル神殿で見つかったカッシート期の石碑には、ナジ・マルッタシュ王(前1307〜1282年)が捧げた献辞とともに、襞のある衣をまとい神格を示す角冠を戴き、両手を挙げて祈る姿の女神がラマの名で明記されている。仲介者としての性格が、この存在の古い層である。
アッシリア期に入ると、姿が変わる。人と獣と鳥の複合体になり、宮殿の入口を守る巨像として現れた。ティグラト・ピレセル2世の治世に、権力の徴として最初の明確なラマッス像が現れたとされる。以後、王宮の門と中庭の入口には対の巨像が据えられ、街路に向かって睨みを利かせた。
図像と象徴
本サイトが掲げるのは、サルゴン2世のドゥル・シャッルキン(現コルサバード)の宮殿から出た浮彫(前716〜713年頃、ルーヴル美術館蔵)である。
この像の造形には、他に類のない仕掛けがある。角に置かれた像は「二面」として彫られ、正面から見ると立ち、側面から見ると歩いているように見える。古い作例では脚が五本ある。正面からは前脚二本が揃って立ち、斜めから見ると四本の脚が歩いている——どちらの視点からも矛盾なく見えるように、彫刻家が一本余分に彫り込んだのである。写実ではなく、見る位置に応じた正しさを選んだ造形といえる。
身体の各部には意味が割り当てられてきた。人の頭は知性、牡牛の身体は力、鷲の翼は自由を表すという読みが広く行われる。ただしこれは後代の解釈であり、古代の文書がそう説明しているわけではない。
サルゴン2世の宮殿では、「玉座の間」の入口の周囲に少なくとも七体のラマッスと、獅子を抱えた英雄像二体が配置されていた。門をくぐる者は、圧倒的な数の巨像に囲まれることになる。門の守護という機能が、そのまま王権の演出になっている。
人頭有翼獣という主題そのものは、前3000年頃のエブラにすでに記録があり、古代西アジアに広く分布する。エジプトのスフィンクスも同じ系統の造形と見なされることがあるが、両者を直接つなぐ証拠はない。
関わる神格・伝承
ラマッスとシェドゥは、宮殿だけでなく家の守護霊としても扱われた。個人が自分のラマッスを持つという観念があり、それを失うことは不運の始まりとされた。ラマシュトゥやパズズのような害をなす存在に対して、守る側に立つ精霊の系列である。
ヒッタイトでは、シュメール語形 dlamma が「守護神」を指す称号として用いられ、後代の文書では女神イナラと同一視された。この呼称が文化圏を越えて機能した語であったことが分かる。
文化的足跡
大英博物館、ルーヴル美術館、イラク国立博物館、メトロポリタン美術館、シカゴ大学東洋研究所——19世紀以降の発掘によって、この巨像は世界の主要な博物館に分散した。ペルセポリスの「万国の門」に立つ人頭有翼牡牛像も、同じ伝統に連なる。
一方、イラク北部に残されていた作例のいくつかは、2010年代にイスラム国が同地域を占拠した際に破壊された。モスル博物館の像も同じ運命をたどっている。三千年近く門を守り続けた像が、その場所にあったために失われたことになる。
現代の創作では、ラマッスは「翼のある人面牛」としてしばしば登場する。原典に照らせば、この存在の核心は姿ではなく配置にある。門の内と外を分ける場所に立つこと、それ自体がこの造形の意味である。