キニチ・アハウ
キニッチ・アハウ|キニチ・アハゥ|神G|K'inich Ajaw|K'inich Ahau|Kinich Ahau
マヤ神話の太陽神。四角い大きな目と鷲鼻をもつ壮年の男として表され、神殿の階段を固める巨大な漆喰仮面にその顔を残す。王はしばしばこの神になぞらえられた。
解説
概要
キニチ・アハウ(K'inich Ajaw / Kinich Ahau)は、マヤ神話の太陽神である。名は k'inich(太陽の目をもつ、太陽に面する)と ajaw(主)からなり、「太陽に面する主」ほどの意になる。k'inich はさらに k'in(太陽・日)を含み、この記号は神の身体に象嵌のように差し込まれて標識となる。シェルハス分類では神Gと呼ばれる。
ただしこの名は、スペイン征服期のユカテク・マヤ語およびラカンドン語で記録された形である。古典期(250〜900年頃)の碑文で同じ神をどう読んだかは確定していない。しかも k'inich は古典期を通じて王の称号としても広く用いられており、神の名と王の号は初めから重なり合っている。
神話・物語
農耕の実りに関わる神々と比べると、キニチ・アハウが物語の主役になることは少ない。古典期の土器絵画で彼が事件の当事者として現れる場面はまれで、神話の骨格を復元する材料に乏しい。
16世紀のユカタンについては、ディエゴ・デ・ランダの『ユカタン事物記』がわずかな手がかりを与える。ランダによれば、キニチ・アハウは52年周期を構成する四つの年のうち一つの守護神であり、その年を迎える儀礼では戦いの踊りが舞われた。神像には卵黄や鹿の心臓、唐辛子を練った供物が捧げられ、耳から採った血を塗る自傷供犠も行われたという。ただしランダは同じ書物のなかで「キンチャハウ・イサムナ」という名も挙げており、太陽神と天空神イツァムナーを一つに括っている。両神の習合を示すのか、報告者の混同なのかは、なお議論がある。
20世紀の後半まで、この神を語り継いだのは南部ラカンドンの人々である。彼らの伝承では、キニチ・アハウは最高神の兄であり、世界の終わりには天から降りて、その飼うジャガーに人類を食わせるとされた。
日没とともに太陽がジャガーに変じて地下を行く、という説明は日本語の入門書でもよく紹介される。この「夜の太陽」仮説の根拠は、地下界のジャガー神が太陽神と同じ大きな目とやすりがけした前歯をもち、ときに k'in の記号を帯びることにある。もっともこのジャガー神は地上の火と戦争にも強く結びつき、捕らえられて松明で焼かれる場面が土器に描かれる。夜の太陽と言い切れるかは定まっておらず、仮説として扱うのが穏当である。
図像と象徴
神Gの顔には一定の約束事がある。鷲鼻、四角く大きな目、寄り目、そして上顎の前歯をT字形にやすりがけした歯である。年齢は若者ではなく壮年として描かれる。額や身体に差し込まれた k'in の記号が、この顔を太陽神と決定づける。
もっとも印象的な遺例は、ピラミッドの中央階段の両脇を固める巨大な漆喰仮面である。キンタナ・ロー州コフンリッチの「仮面の神殿」(500年頃)がその代表で、後古典期の増築に覆われたおかげで保存がよい。もとは八面あったうち五面が現存し、三面は盗掘で失われた。逆に言えば、この神は漆喰彫刻という媒体に偏って現れ、土器や石碑の物語場面には出てこない。
日の出の方角には水に囲まれた楽土が想定される。そこでの太陽神は、水鳥に似た幻獣の姿をとり、あるいは若者の姿でカヌーを漕ぐ。カール・タウベは、この一群の図像がアステカの「花の楽園」に比せられる宗教的抒情を示唆すると論じている。
暦の上では、キニチ・アハウは日を表す単位 k'in、乾季の月ヤシュキン、そして数字の四の守護神である。マヤの数詞は神の頭部で書き表すことができ、四の位置に立つのがこの神の顔である。
王権との結びつきも図像に濃い。太陽神は玉座の敷物に座す王として、あるいは双頭の儀杖を抱える支配者として表される。逆に王の側も繰り返し太陽神になぞらえられ、コパンの初代王ヤシュ・クック・モ(「大いなるケツァル・オウム」)の紋章は、二羽の鳥のくちばしのあいだに太陽神の顔を挟む。死後の王を太陽の相で表す例もあり、王の神格化と太陽は分かちがたい。
ニューヨークのメトロポリタン美術館が所蔵する凝灰岩と漆喰の頭部(600〜900年)は、この造形をよく伝える。館の目録が「太陽神の頭部」とだけ題して固有名を与えないのは、神Gの約束事を満たす図像をただちにユカテク語の神名で呼べるか、という慎重さの表れである。
系譜と関係
マヤの神々の関係は体系的な家系図をなさない。方位や時刻に応じて姿を変え、別の神と属性を分け合うのが常であり、親子や夫婦の関係も伝承によって揺れる。
イツァムナーとは図像の上で大きな目を共有し、ランダの記録では名が一つに結ばれている。老いた相のイツァムナーに対し、壮年の相のキニチ・アハウを昼の側面とみる整理も行われてきたが、これを両神の同一性の証拠とするには足りない。配偶者をイシュ・チェルとする伝えもあるが、イシュ・チェル自身が複数の女神を重ねた像であり、断定はできない。
ユカタンのイサマルには、キニチ・カクモ(「太陽に面する火のオウム」)という守護神がいた。太陽が天頂に立つ時刻に地上へ降りて供物を食べたと伝えられ、キニチ・アハウとの関係が想定されている。
キチェ・マヤのポポル・ヴフでは、英雄双子フナフプーとイシュバランケーが最後に太陽と月へ変じたと語られる。ところが古典期の図像で、双子が神Gや月の女神と重ねて描かれることはない。16世紀の物語をそのまま古典期の図像に当てはめない、というのが近年の慎重な立場である。
雨神チャクや地下界のジャガー神もまた大きな目をもち、太陽神と属性を分け合う。これらを太陽の一日の各段階と読む説もあるが、確定はしていない。
文化的足跡
コフンリッチ、ウシュマル、パレンケなど各地の遺跡で、太陽神の顔は今も建築の一部として残っている。碑文の解読が進んだ結果、かつて「太陽神の像」と呼ばれた作例の多くが、太陽神になぞらえられた王の肖像であることも分かってきた。神と王のどちらを見ているのかという問いは、マヤ美術を読むうえで今も開かれたままである。