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羿
PLATE — 羿
SINÆ · 中国神話・道教
羿

羿

后羿 · げい · こうげい

蕭雲從筆『天問図』(1645年) PUBLIC DOMAIN

中国神話の弓の名手で、后羿とも呼ばれる。『淮南子』によれば、堯の時代に十の太陽が一斉に昇って大地を焼いたとき、その九つを射落とし、猰貐や修蛇など六つの怪物を退治した。西王母から得た不死の薬は、妻の嫦娥が飲んで月へ昇った。

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解説

概要

羿(げい、Yì)は、中国神話に語られる英雄的な射手である。后羿(こうげい)とも呼ばれる。十個の太陽が同時に天へ昇って大地を焼いたとき、神弓をとってその九つを射落とし、世を旱魃(かんばつ)から救ったと伝えられる。数々の怪物をも討ち平らげた弓の名手であり、西王母から不死の薬を授かった者としても知られる。

神話・物語

羿の名を不朽にしたのは、十日(じゅうじつ)を射る物語である。『淮南子』本経訓によれば、堯(ぎょう)の治世、天帝の子とされる十の太陽——それぞれ三足烏を宿す——が一斉に昇り、草木は枯れ、大地は炎に焦がされた。人々の苦しみを見た羿は、弓をとって九つの太陽を射落とし、ただ一つを天に残したという。あわせて、猰貐(あつゆ)・鑿歯(さくし)・九嬰(きゅうえい)・大風(たいふう)・封豨(ほうき)・修蛇(しゅうだ)という、人を害する六つの怪物を、羿は次々に退治した。

やがて羿は、崑崙山の西王母のもとを訪ね、不死の薬を得る。ところがその薬は、妻の嫦娥(じょうが)が口にして月へと飛び去り、羿の手を離れた(→嫦娥)。 なお、堯の時代の射手・羿と、のちに夏王朝を簒奪した有窮(ゆうきゅう)の后羿とは、しばしば混同されるが、本来は別の伝承に属するものとみられる。

図像と象徴

羿の図像は、弓を引き絞り、天の太陽を射る姿を中心とする。本サイトが掲げるのは、明末清初の蕭雲從(しょううんじゅう)が『天問図』(1645年)に描いた射日図で、日輪と、射落とされて墜ちる三足烏を配する。

系譜と関係

羿は、妻の嫦娥と対で語られることが多い。不死の薬をめぐる二人の物語は、月の女神・嫦娥の由来譚と分かちがたく結びついている。西王母は、その薬の授け手として羿の物語にかかわる。

『淮南子』で羿が洞庭で斬ったのは修蛇であり、のちにこれが象を呑む大蛇巴蛇と同じものとされた。

文化的足跡

羿が太陽を射る神話は、中秋節に月を仰ぐ嫦娥の物語とともに、東アジアで広く親しまれてきた。

なお道教と中国の民間信仰は今日も信仰されている生きた伝統であり、本項の記述はその神格の伝承と図像に関する学術的な整理である。

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領分・別名

親・配偶者・子までを表示(全体はフル系図ページへ)。実線=主要伝承/点線=異伝・別系統。

収載データなし
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資料

Wikidata
Q1065105 — 骨格データの出典
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Hou Yi — 図像カテゴリ