ハヤグリーヴァ
馬首のヴィシュヌ · 学問の守護尊
馬の頭をもつヴィシュヌの姿。奪われたヴェーダを取り戻した者とされ、知識と学問を司る尊格として篤く祀られている。
解説
概要
ハヤグリーヴァ(Hayagrīva / हयग्रीव)は、馬の頭をもつヴィシュヌの姿である。名は「馬の首をもつ者」を意味する。奪われたヴェーダを取り戻した者とされ、知識と学問を司る尊格として、とりわけ南インドのシュリー・ヴァイシュナヴァ派で篤く祀られる。同じ名がアスラの名としても、また仏教の忿怒尊の名としても用いられるため、区別を要する。
神話・物語
由来には二つの系統がある。ひとつは、ヴェーダの奪還である。ブラフマーが眠るあいだにアスラがヴェーダを盗み、海の底へ持ち去った。ヴィシュヌは馬の頭をもつ姿となって水中へ降り、これを討ってヴェーダを取り戻したと語られる。盗んだアスラの名をハヤグリーヴァとする伝えもあり、討つ側と討たれる側が同じ名を負うことになる。マドゥとカイタバの兄弟が盗んだとする版もあり、文献によって定まらない。
もうひとつは『デーヴィー・バーガヴァタ・プラーナ』が伝える説話である。長い戦いに疲れたヴィシュヌが弓に顎を載せて眠っていたとき、神々は彼を起こすために白蟻に弓弦を噛ませた。弦が切れて跳ね返った弓が主の首を刎ねてしまう。困った神々に対し、女神は馬の首を継げばよいと告げた。こうしてブラフマーが馬の頭を据え、ヴィシュヌはハヤグリーヴァの姿を得たとされる。神々の側の失策が新たな姿を生むという、変則的な由来である。
図像と象徴
白い体色に馬の頭をもち、四臂で法螺貝、輪宝、数珠、そして知識を示す印もしくは書物を執る。白蓮の上に坐す姿が定型である。象徴となるのは馬の頭であり、馬の嘶きがヴェーダの詠唱に喩えられることから、音としての聖典を体現するものと解される。
系譜と関係
ヴィシュヌの一形態であり、別に立てられた神格ではない。ダシャーヴァターラの十化身には数えられないが、より広い化身の一覧に加えられることがある。同名のアスラとは敵対の関係に置かれ、マツヤの化身譚においてもヴェーダを盗んだ者としてその名が挙がる。
文化的足跡
シュリー・ヴァイシュナヴァ派において学問の守護尊とされ、ヴェーダーンタ・デーシカ(14世紀)が著した『ハヤグリーヴァ・ストートラ』は今日も学びの前に唱えられる。タミル・ナードゥのティルヴァヒーンドラプラムやチェンナイ近郊に主要な聖地がある。
仏教にも同名の尊格があり、東アジアでは馬頭観音、チベットでは忿怒尊タムディンとして知られる。こちらは馬の頭を頭上に戴く忿怒相をとり、ヒンドゥーの白い学問の尊とは性格が大きく異なる。名を共有しながら別個に展開した例として扱う必要がある。