ディオメーデース(トラーキア王)
ディオメデス · トラーキアのディオメーデース · Diomedes of Thrace
トラーキアのビストーン人の王。客人を人喰い馬の餌にしていたが、ヘーラクレースに自らの馬へ食わせられた。
解説
概要
ディオメーデース(Διομήδης / Diomedes)は、トラーキアのビストーン人の王である。人喰い馬を飼い、王宮を訪れた客人をその餌にしていた。ヘーラクレースの第八の功業によって馬を奪われ、自ら馬に食われた。
トロイア戦争で戦ったテューデウスの子ディオメーデースとは別人である。同名であることから古代にも混同があり、セルウィウスは両者の馬を血統でつなごうと試みている。
神話・物語
父をアレース、母をキュレーネーとする伝えがある。軍神の子が客人を殺す王だという設定は、この人物が野蛮の側に置かれていることを示している。ギリシア人にとって客人歓待(クセニアー)は神の定めた掟であり、それを裏返しにする王は、都市の外にある無法の体現者にほかならない。
伝承は二系統に分かれる。古い層では、ヘーラクレースは単身で赴き、王自身か馬丁か御者を馬に食わせて宥め、馬を連れ去る。後の層では従者を率いて行き、王とビストーン人の軍勢と戦って勝ち、王を殺す。この版では番を任された少年アブデーロスが馬に殺される。
シケリアのディオドーロスは、ヘーラクレースが王自身を馬に食わせて凶暴さを鎮めたと語る。自らが仕込んだ習性によって自らが食われるという構図であり、暴政の報いを説く寓話として後世に受け継がれた。
なお、ヒュギーヌスは、ヘーラクレースが王と馬とアブデーロスをまとめて殺したとする。誰が誰に食われたのかさえ、資料ごとに入れ替わる。
神話・物語における位置
この王の存在は、ヘーラクレースの功業のなかでこの一件を特異なものにしている。他の功業が獣や怪物を相手にするのに対し、ここでは人間の王が敵役として立つからである。しかも馬の凶暴さは天性のものではなく、王が仕込んだものとされる。討たれるべきは獣ではなく飼い主であり、飼い主が食われることで馬は鎮まる。獣の害が人間の悪徳に由来するという構図が、この功業の主題になっている。
図像と象徴
ディオメーデース自身が古代美術に現れるのは遅い。パウサニアースは前550年頃のアミュクライの玉座に「ヘーラクレースがディオメーデースに復讐する場面」があったと記すが、ジョン・ボードマンは、この王がこの場面に描かれるのはヘレニズム期以降であることから、パウサニアースの同定を疑っている。前6世紀末のプシアクスやオルトスの壺では、描かれるのはヘーラクレースと馬であって、王は画面にいないか、いても同定が難しい。
ローマ期になると事情が変わる。十二功業を一組として並べる石棺やモザイクの図像形式が定着し、そこでは王が馬に投げ与えられる場面が明示的に表されるようになる。物語の説明が図像に求められるようになった結果とみられる。本項では、既存の人喰い馬の項に掲げたリリア出土モザイクと重複を避け、主画像を置いていない。
系譜と関係
父アレース、母キュレーネーとする伝えがある。飼っていたのが人喰い馬、討ったのがヘーラクレース、命じたのがエウリュステウス、犠牲となったのがアブデーロスである。
文化的足跡
ギュスターヴ・モロー《自らの馬に喰われるディオメーデース》(1865年、ルーアン美術館)が、この人物を近代絵画の主題として定着させた。自ら育てた暴力に自らが滅ぼされるという読みが、19世紀以降この場面に与えられている。