ケモシュ
カモシュ · Chemosh · Kamōš
モアブ王国の国家神。前9世紀のメシャ碑文は、王メシャがイスラエルから国を取り戻した勝利をこの神の命令と助けに帰し、敵を聖絶として捧げたと記す。ヘブライ語聖書では「モアブの憎むべきもの」と呼ばれる。
解説
概要
ケモシュ(モアブ語 𐤊𐤌𐤔 kmš、カモシュ)は、死海の東岸、今日のヨルダン中部にあったモアブ王国の国家神である。ヘブライ語聖書はモアブの人々を「ケモシュの民」と呼ぶ(『民数記』21章29節)。名の由来はわかっていない。前3千年紀のエブラの神名カミシュと結びつける説があるが、確かではない。
この神を自らの言葉で語る資料は、前9世紀のメシャ碑文だけである。モアブの王が勝利を自国の神に帰した記録であり、ヘブライ語聖書の側から書かれたモアブ像と突き合わせられる、数少ない聖書外の史料となっている。
神話・物語
メシャ碑文(前840年頃)によれば、イスラエルのオムリ王がモアブを長く支配したのは、ケモシュが自分の国に怒っていたからであった。王メシャの代になってケモシュは国を返し、メシャに「行って、イスラエルからネボを奪え」と命じる。メシャは夜のうちに出て夜明けから昼まで戦い、町を奪って七千人をことごとく殺し、「アシュタル・ケモシュ」に聖絶(ヘレム)として捧げたという。神の怒りが国を敵に渡し、神の命令が国を取り戻させるという歴史の語り方は、ヘブライ語聖書の歴史書とよく似ている。
同じ戦いは『列王記下』3章にイスラエル側から語られる。イスラエル・ユダ・エドムの連合軍に包囲されたモアブの王は、跡継ぎの長子を城壁の上で全焼の献げ物とした。すると「大いなる怒りがイスラエルに臨み」、連合軍は引き揚げたと記される。誰の怒りかを書かないこの一節は、ケモシュへの犠牲が効いたとも読める形を残している。
図像と象徴
ケモシュと銘のある像は知られていない。本サイトが掲げるのは、モアブの地シーハーンで見つかった石碑(ルーヴル美術館蔵)で、槍を構えた戦士の浮彫がケモシュを表すとみる説がある。
メシャ碑文の「アシュタル・ケモシュ」は、ケモシュと金星の男神アシュタル(ウガリットのアタル)を合わせた名とみる見方が有力である。女神アスタルトと組み合わせた名、あるいはケモシュの配偶神の名と読む説もあり、定まっていない。
系譜と関係
親や配偶神を伝える資料はない。アンモンのミルコム、エドムのコースとともに、ヨルダン川東岸の王国がそれぞれ一柱の国家神を戴いた例であり、イスラエルとヤハウェの関係とよく似た構図をもつ。『士師記』11章24節で、士師エフタはアンモンの王に「あなたの神ケモシュが与える地を、あなたは得ないのか」と語っている。
文化的足跡
ヘブライ語聖書は、ソロモンが晩年に「モアブの憎むべきものケモシュ」のためにエルサレムの東の山に高き所を築き(『列王記上』11章7節)、のちにヨシヤ王がこれを汚して廃したと記す(『列王記下』23章13節)。『エレミヤ書』48章は、ケモシュがその祭司や君たちとともに捕らえ移されると預言する。
メシャ碑文は1868年にディーボーン(現ディーバーン)で見つかった。地元の人々に砕かれたが、それ以前に取られていた紙の型と回収された破片から復元され、ルーヴル美術館に収められている。