愛宕権現
あたごごんげん · 愛宕大権現 · 勝軍地蔵
愛宕山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神で、イザナミを垂迹、勝軍地蔵を本地とする。火伏せの神として「火迺要慎」の札が台所に貼られる。天狗太郎坊を眷属とし、武士の信仰も集めた。
解説
概要
愛宕権現(あたごごんげん)は、愛宕山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神号であり、イザナミを垂迹神として地蔵菩薩を本地仏とする。神仏分離・廃仏毀釈が行われる以前は、愛宕山白雲寺から勧請されて全国の愛宕社で祀られた。
概要
愛宕修験によって、愛宕山白雲寺の本尊の勝軍地蔵が愛宕山に垂迹した権現としてイザナミが祀られた。地蔵信仰だけでなく、塞神信仰や天狗信仰も混在した。
愛宕修験
大宝年間、修験道の役小角と泰澄が山城国愛宕山に登ったとき、天狗(愛宕山太郎坊)の神験に遭って朝日峰に神廟を設立したのが、霊山愛宕山の開基と伝わる。天応元年(781年)光仁天皇の勅に基づいて、和気清麻呂と慶俊僧都によって、唐の五台山に倣った愛宕五坊が建立された。
愛宕山は修験道七高山の一つとされ、「伊勢へ七たび 熊野へ三たび 愛宕さんには月まいり」と言われるほど愛宕山は修験道場として栄えた。江戸時代にかけて愛宕修験がますます盛んになると、愛宕山白雲寺から勧請された愛宕社が全国に広まった。
火伏せの神
愛宕権現は火伏せ(防火)の神として広く信仰された。本地仏の勝軍地蔵が火に関わる仏とされたこと、そして愛宕山の天狗太郎坊が火を操るとされたことによる。「火迺要慎」(火の用心)の札は、愛宕神社から授与されて台所に貼られた。
勝軍地蔵は甲冑をまとい馬に乗る地蔵で、武士の信仰を集めた。武運長久と火伏せという二つの職能が、この権現に集約されている。
図像と象徴
本サイトが掲げるのは、愛宕権現の図である。
甲冑をまとい馬に乗る勝軍地蔵の姿で表される。地蔵菩薩の穏やかな姿とは異なり、武将の姿をとる。
神仏習合の構造がこの神を規定する。イザナミ(神道)、地蔵(仏教)、天狗(修験道)、塞神(民間信仰)の四つの層が、一つの権現のなかに重なっている。
関わる神格・伝承
本地は地蔵菩薩(勝軍地蔵)、垂迹はイザナミ。愛宕山太郎坊天狗を眷属とする。
明治の神仏分離により、愛宕神社の祭神はイザナミほかとされ、白雲寺は廃された。権現号は公式には用いられなくなった。
文化的足跡
「愛宕さん」の火伏せの札は、京都をはじめ全国の家庭の台所に今日も貼られている。全国の愛宕神社は約九百社を数える。
なお日本の仏教と神道は今日も信仰されている生きた宗教であり、本項の記述はその尊格の伝承と図像に関する学術的な整理である。