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MUNDUS MYTHICUS · CH. 01 · WHAT MYTH IS AND HOW IT SURVIVED

神話はどこから来たか

本サイトには二千を超える神と怪物が並んでいる。だがその前に、一つだけ確かめておきたいことがある。いま読める「神話」は、誰が、いつ、どんな事情で書き留めたものなのか。この問いを最初に置くのは、以降のすべての章で数を扱うときの、防波堤になるからである。

PLATE ギルガメシュ叙事詩 第11書板(洪水の書板)
ギルガメシュ叙事詩 第11書板(洪水の書板), 前7世紀(アッシュールバニパル図書館).
ギルガメシュ叙事詩 第11書板(前7世紀、大英博物館蔵)/撮影 BABELSTONE, CC0

境界は引けない

神話と伝説と昔話のあいだに線を引こうとする試みは、何度も行われてきた。神話は神々の物語、伝説は英雄と土地の物語、昔話は名を持たない語り手の物語——そう分けると分かりやすいが、実物に当てるとすぐ破れる。ヘーラクレースは神の子であり英雄であり、死後に神となった。スサノオは高天原の神であり、出雲の王であり、八岐大蛇を退治する英雄でもある。どこからが神話でどこからが伝説か、当の語り手たちは気にしていなかった。本サイトも、この線を引かない。神々とその周囲の物語をまとめて扱い、区分は各記事の性格に任せる。

線を引けないことを最初に認めておくのは、次の問いに進むためである。境界がないなら、いま「神話」として読めるものは、どこから来たのか。

記録の四つの経路

最古の記録は粘土に刻まれている。ギルガメシュをめぐるシュメール語の詩は前三千年紀末に遡り、それらを一つの物語に編み上げたアッカド語の『ギルガメシュ叙事詩』は、前二千年紀に成立した。伝承の担い手は書記であり、書き写す行為そのものが学校教育の一部だった。エジプトでは、前二十四世紀の王ウナスの墓室に刻まれたピラミッド・テキストが、王の来世を保証する呪文として神々の名を残した。

次に写本がある。北欧の神々を伝える『エッダ』の写本は十三世紀のもので、アイスランドがキリスト教を受け入れて二百年以上経ってから書かれた。アイルランドの神話も同様で、写本を作ったのは修道院の聖職者である。第三に、国家が編んだ書物がある。記紀——『古事記』(712年)と『日本書紀』(720年)は、いずれも朝廷の事業として成立した。第四に、口承が文字に移された例がある。マヤの『ポポル・ヴフ』は、スペインによる征服のあと、キチェ族の貴族がラテン文字を使って書き留めたものであり、それを十八世紀初頭に修道士ヒメネスが写した。

四つの経路は、それぞれ違う人間の手を通っている。書記、聖職者、朝廷、そして征服された側の貴族。

記録者は当事者ではない

ここが要点である。神話を書き留めた人間は、多くの場合、その神話を信じていた人間ではない。

『エッダ』を編んだスノッリ・ストゥルルソンはキリスト教徒だった。彼は序文で、オーディンたちアース神族をトロイアから北方へ渡ってきた人間の王として説明している。神々を神として書けば異端になる。人間として書けば伝承を残せる。この選択が、北欧神話の記録を可能にし、同時にその姿を変えた。アイルランドの『来寇の書』は、島の神々を聖書の系譜に接ぎ木した。ノアの子孫が順に渡来し、そのなかに神々の一族も混ざっている、という筋書きである。修道士たちは異教の神々を消さなかった。かわりに、旧約聖書の年表のなかへ入れた。

『ポポル・ヴフ』の筆者たちは、自分たちの神々をまだ信じていたかもしれない。だが書き留めた動機は、征服者の文字で自らの起源を記録することにあり、読者として想定されたのは、もはや同じ神話を共有しない人々だった。

『日本書紀』は別の形で興味深い。この書は本文のあとに「一書に曰く」として異なる伝えを並記する。イザナギとイザナミの国生みの段には、複数の一書が付されている。編纂者は一つの正しい版を選ばず、複数の版を並べた。国家の正史でありながら、異伝を消さなかったのである。

だから異伝がある

『古事記』と『日本書紀』の食い違いは、伝承の乱れではない。二つの書物が違う事情で編まれたことの、そのままの反映である。ゼウスの出生地がクレタ島だったりアルカディアだったりするのも、ヘシオドスの『神統記』とホメロスの叙事詩で神々の系譜が一致しないのも、同じ理由による。ヘロドトスは『歴史』のなかで、ギリシア人に神々の系譜と名と姿を与えたのはホメロスとヘシオドスであり、それは自分の時代から四百年ほど前のことにすぎない、と書いた。神々の像を作ったのは詩人であり、詩人は一人ではなかった。

異伝が多いのは、伝承が豊かだったからではなく、記録者が多かったからでもある。両方が混ざっている。そして記録者が一人しかいなかった体系では、異伝そのものが失われている。

数を読むときの防波堤

本サイトのギリシア神話の項目は五百を超える。フェニキア・カナンの項目は十数件である。この差は、神話の豊かさの差ではない。ギリシアの神々は二千五百年間、途切れずに読まれ、書き写され、絵に描かれ続けた。フェニキアの神々は、ウガリットの粘土板が1929年に始まる発掘で地中から出てくるまで、聖書のなかで貶められた名としてしか知られていなかった。バアルが雨をもたらす英雄的な王であったことが分かったのは、二十世紀になってからである。

以降の章では、本サイトに登録された神々の数を根拠に議論することがある。そのたびに、この章を思い出してほしい。数は伝承の豊かさを直接には示さない。示しているのは、何がどのように書き留められ、何が残り、何が失われたか、という記録の歴史である。神話を読むことは、いつでも、記録の事情を読むことと切り離せない。

本サイトが異伝を一つに統合せず、出典の名を添えて並べるのは、この理由による。