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ヴォジャノーイ
PLATE — ВОДЯНОЙ
SLAVI · スラヴ神話
ВОДЯНОЙ

ヴォジャノーイ

ヴォジャニーク · ヴォドニーク · ヴォドニ・モージュ

Ivan Bilibin PUBLIC DOMAIN

スラヴの水の主。淵や水車のそばに住み、溺れさせる者として恐れられた。粉屋は黒い鶏や馬の頭を沈めて彼と取り引きし、漁師は初漁の一匹を水へ返した。

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解説

概要

ヴォジャノーイ(Водяно́й / Vodyanoy)は、水に棲むスラヴの霊であり、水の主である。名は「水の」を意味する形容詞に由来し、チェコではヴォドニーク、スロヴェニアではヴォドニ・モージュと呼ばれる。スラヴ神話不浄なる力のなかで、この霊は水という領域の危険な面を一身に負っている。

森の主レーシーが公正な主として語られるのに対し、ヴォジャノーイの評判は一貫して悪い。堕天使が地へ落とされたとき、水域に落ちたのがこの霊だという。溺死はほとんどつねに彼のしわざとされた。

登場する物語

住み処は淵、渦、氷の割れ目、そしてなによりも水車である。水車の輪のそば、堰の下、川底の館に彼はいる。

だから粉屋は、この霊と付き合わねばならなかった。輪を壊され堰を破られては商売にならない。年に一度、黒い豚を沈める。水車を建てるときには扉の下に黒い鶏を生きたまま埋め、あるいは馬の頭を水へ投じる。水車には黒い毛の鶏と猫を飼っておく。冬の凍える時期には、輪の油を舐め取られぬよう脂身を沈めた。東スラヴの村で粉屋が薄気味悪がられたのは、この付き合いのゆえである。新しい水車の礎には人身の犠牲がいる、粉屋は魂を売っている、旅人を淵へ突き落としている——そうした噂がついて回った。

漁師にも作法があった。初漁の一匹は水へ投げ返す。漁に出る者は、道で誰かに行き先を問われても魚を捕りに行くとは答えない。ヴォジャノーイは秘密を好み、秘密を守れる者を尊ぶからである。煙草を一つまみ水面に撒いて、魚をくれと頼む老人もいた。

暦のうえでは、冬のあいだ彼は川底で眠り、四月一日に空腹と不機嫌のうちに目を覚まして氷を割り魚を苦しめる、とロシアでは語られた。ベラルーシでは、洗礼祭で水が聖別される前夜、子どもたちを水から運び出すために橇を借りにくるといい、人々は橇と荷車をひっくり返しておいた。

図像と象徴

裸で、たるんだ体の、目玉の飛び出た老人。緑の口髭と大きな顎鬚をたくわえ、藻に絡まれ、あるいは赤い上衣をまとう。魚の尾、牛の尾、水掻きのある鵞鳥の足、牛の蹄、鯰のような肌、頭の角——描写は土地ごとに違うが、いずれも人と獣と魚のあいだにある。鯰、鱒、鵞鳥、鴨、丸太、溺死体、馬にも姿を変える。大鯰にまたがって進むといい、そのため鯰は「悪魔の馬」と呼ばれた。

彼は笑い声で自らを明かす。近くに獲物があると見れば、高らかに手を打ち鳴らす。人や獣の声を真似て呼び、驚かせ、水底の館へ誘い込む。川や湖の底では、鯰や鯉や鯛を家畜の群れのように飼っているという。

象徴の焦点は、水が恵みであると同時に人を呑む場であるという二面性にある。水車も渡し場も淵も、村の暮らしに欠かせないと同時に、人が最もよく死ぬ場所であった。本ページに掲げたのは、イヴァン・ビリービンが1934年に描いた図版である。

関わる伝承

ヴォジャノーイの像は、しばしばルサールカや悪魔の像と融け合った。水に沈んだ娘たちは彼の館に住むとされ、両者は同じ水域を分けあう。ロシア北部には、棍棒を持った老人の姿の「水の皇帝」がいて、黒雲となって天に昇り、新しい川や湖を造るという伝えがある。

同じ発想は各地にある。ケルト圏のケルピー、ゲルマン圏のニクス、日本の河童。いずれも水辺に人を引き込む存在であり、そして河童と同じく、ヴォジャノーイもまた作法を守れば取り引きの相手になりえた。

文化的足跡

ドヴォルジャークの歌劇《ルサルカ》(1901年)に登場する水の精ヴォドニークは、チェコにおけるこの霊である。娘の人間への恋を止められない父として描かれ、伝承の陰惨さよりも哀切が前に出ている。カレル・ヤロミール・エルベンの詩集『花束』(1853年)の「ヴォドニーク」は、より容赦のない古い像を伝える。ロシアでは19世紀の民俗誌が粉屋と漁師の作法を克明に記録し、それが今日の像の土台になった。

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領分・別名

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資料

Wikidata
Q720378 — 骨格データの出典