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ヴィイ
PLATE — ВИЙ
SLAVI · スラヴ神話
ВИЙ

ヴィイ

ヴィー · ヴィーイ · ヴィイー

Р. Штейн(Н. ゴーゴリ『ヴィイ』サンクトペテルブルク、1901年) PUBLIC DOMAIN

垂れ下がった瞼を手下にこじ開けさせ、その眼差しで人を殺す地下の怪異。ゴーゴリの小説(1835年)が初出で、民間伝承にこの名と姿を備えた存在は見あたらない。

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解説

概要

ヴィイ(Вий)は、地の底に属する怪異で、その眼差しが人を殺す。瞼と睫毛が長く垂れ下がって自力では持ち上げられず、手下が鉄の熊手でこじ開ける。見られた者は目を覚ますことができず、やがて死ぬ。村や町を灰に変えるともいう。スラヴ圏の怪異のなかでも際立って有名で、日本語ではヴィーとも表記される。

ただし、この名と姿をあわせ持つ存在は、スラヴの民間伝承には見あたらない。ヴィイという名を世に出したのはニコライ・ゴーゴリの小説『ヴィイ』(1835年)である。ゴーゴリ自身は民間伝承をそのまま伝えたと注記したが、それを額面どおりに受け取るかどうかが、この項の主題になる。

神話・物語

ゴーゴリの小説の筋はこうである。神学生ホマー・ブルートは、旅の途中で老婆に取り憑かれ、これを打ち殺す。老婆は美しい娘の姿に戻る。娘の父である百人隊長に命じられ、ホマーは三夜にわたって娘の棺のそばで祈祷を続けることになる。夜ごと死んだ娘は棺から起き上がり、ホマーが白墨で引いた円のなかへは入れない。三夜目、娘は魔物の群れを呼び寄せ、ついに「ヴィイを連れてこい」と叫ぶ。ずんぐりとして内股、根のように筋張った手足、全身が黒い土にまみれ、指と顔は鉄、瞼は地面まで垂れている——それがヴィイである。手下が熊手で瞼を持ち上げる。「あれだ」と彼が指さした瞬間、ホマーは息絶える。

注意すべきは、ヴィイが視線で殺すのではないことである。彼を見た瞬間、悪霊に対するあらゆる守りが解ける。ホマーは眼差しに殺されるのではなく、自分の恐怖に殺される。ヴィイは執行者ではなく、案内人として置かれている。

図像と象徴

本項の主画像は、1901年にサンクトペテルブルクで刊行されたゴーゴリの版に付されたR・シュテインの挿絵である。以後の図像は、おおむねこの系統に連なる。

長い瞼という主題そのものは、スラヴの民間伝承に広く分布する。ロシアとベラルーシの昔話では、ヴィイの瞼(睫毛、眉)を手下が熊手で持ち上げる。ロシアの昔話「イワン・ブィコヴィチ」には、魔女の夫の眉と睫毛を鉄の熊手で持ち上げる場面がある。ウクライナでは、恐ろしい眼差しは聖カシアンと「疥癬のブニャク」(ポロヴェツのハン)に結びつけられた。ポルタヴァの言い伝えでは、聖カシアンは四年に一度、二月二十九日に睫毛を上げる。「そのとき彼が見たものはすべて滅びる」。ベラルーシの伝説では、カシアンは洞窟に座り、膝まで届く睫毛のせいで「神の光」を見ることができない。裏切りの罰として睫毛が伸びすぎ、視力を失ったユダの話も並べられてきた。

長い瞼は、スラヴの民間観念において魔的な存在の徴である。ベラルーシのポレシエで採られた話では、死そのものが巨大な瞼を持つ恐ろしい女として描かれる。

系譜と関係

名の由来については、ウクライナ語 вія(ベラルーシ語 вейка)「睫毛」、повіка「瞼」との関係が指摘される。ウクライナ語 вий「唸り」に結びつける説もあり、旋風やつむじ風がこの語で呼ばれた例もある。

イラン学者アバーエフは、ヴィイの形象を東スラヴの神ヴェイ(*Вѣй)にさかのぼらせ、アヴェスターの死と風の神ヴァユに対応させた。グラントフスキーとボンガルド=レヴィンもイラン系の語根を認める。ケルト神話との対応を見る研究者もいる。フォモール族の王バロールは「邪眼」の異名を持ち、その一つ目の視線は雷のように軍勢を薙ぎ倒した。ウェールズのイスバザデン・ペンカウルは、瞼が重すぎて金具で持ち上げなければ何も見えない巨人である。イヴァノフは、ヴィイをゴーゴリの創作ではなく神話的形象と見たうえで、印欧イラン系の風神ではなく、東スラヴ・アラン・ケルトという狭い範囲の等語線に属するものと考えた(のちにアバーエフの語源説を受け入れている)。インド学者ヴァシリコフは、スラヴの南にイラン系、北にバルト系、南西にケルト系が隣接していた時期の地理的近接によって、共通の特徴を持つ形象が分布したのだと説明する。

否定的な評価も強い。レフキエフスカヤは、ゴーゴリのヴィイが備える特徴のすべてを持つ人物はスラヴの民間伝承に存在しないと結論した。個々の特徴を持つ存在はいるが、それらをゴーゴリが一体に組み上げたのだ、というのである。シャヤフメトフは、ヴィイという語がこの小説以前のウクライナ語の辞書に記載されていないことを指摘する。ヴドヴィンは、ヴィイに関する民俗資料が小説の刊行より相当あとに採録されたものであり、小説の影響下で成立した可能性を指摘している。

『ヴィイ』が書かれたのは、『オシアンの詩』に始まる文学的偽装の時代である。ロマン主義の作家たちは「民衆の精神」を尊び、自作を民間伝承の採録や翻案として発表することは珍しくなかった。ゴーゴリの注記も、その慣習のなかで読む必要がある。

文化的足跡

映画の題材として繰り返し取り上げられてきた。マリオ・バーヴァ監督のイタリア映画『血ぬられた墓標』(1960年)は原作を大きく離れた翻案、1967年のソ連映画『妖婆 死棺の呪い』は最も忠実な映像化として知られる。2014年にはロシア・ウクライナ・チェコ合作の『レジェンド・オブ・ヴィー』が作られた。

ロシアの昔話の怪異としてはコシチェイと並べて語られることが多い。ストルガツキー兄弟の『月曜日は土曜日に始まる』には、ヴィイ・フロン・モナドヴィチという名で端役として登場する。ドミトリー・イェメツの『ターニャ・グロッテル』では、あの世のテレビ番組の目玉として、放送終了のたびに瞼を上げられ、不用意な視聴者と撮影スタッフに死者が出るという扱いを受けている。

日本語圏でも、ゲームやライトノベルに「死の視線を持つ地下の魔物」として現れる。伝承の裏づけがないまま古い神話の存在として紹介されることが多いが、この名が最初に現れるのは1835年の一篇の小説である。

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領分・別名

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資料

Wikidata
Q1055822 — 骨格データの出典
Commons
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