ジェド・マロース
ヂェド・マロース · ジェド・モロース · マロースおじいさん
東スラヴ圏で新年に贈り物を運ぶ老人。キリスト教以前の冬の擬人化にさかのぼるが、いまの姿は19世紀の文学と、クリスマスを禁じたソヴィエトの政策が形づくった。
解説
概要
ジェド・マロース(Дед Мороз)は、ロシアをはじめとする東スラヴ圏で新年に贈り物を運ぶ老人である。ジェドは「祖父・老爺」、マロースは「厳寒・霜」を意味する。スラヴ圏における西欧のサンタクロースにあたる位置を占めるが、赤だけでなく青の外套をまとうこと、孫娘スネグーラチカを連れていること、そしてクリスマスではなく新年に現れることが異なる。
古い層をたどれば、この老人はキリスト教以前の冬の擬人化にさかのぼる。ただし今日知られる姿は、19世紀の文学と20世紀のソヴィエトの政策が形づくったものである。祖先は霜の精モロースであり、直接の父は劇場と国家である。
神話・物語
昔話の主人公としての名はモロースコ(Морозко)である。よく知られる筋はこうである。
継母に疎まれた娘が、真冬の野へ追い出される。凍える娘の前にマロースが現れ、冷たい風を吹きつけながら「暖かいか」と問う。娘は「暖かい」と答える。問いは繰り返され、娘は答えを変えない。老人はついに毛皮と宝を与えて娘を生かして帰す。それを見た継母は、実の娘にも同じ幸運をと考えて外へ出す。だが実の娘は「寒い」と言い張り、凍え死ぬ。
従順が報われ、率直が罰せられる話である。日本語圏ではしばしばシンデレラ型の成功譚として紹介されるが、寒さに対して「暖かい」と答えることを美徳とするこの筋には、寒冷地の農村社会の教訓がはっきり刻まれている。相手は善でも悪でもなく、ただ冬そのものである。
図像と象徴
踵まで届く毛皮の長い外套、半円形の毛皮帽、フェルト長靴(ヴァレンキ)、長い白髭。手には魔法の杖を持ち、しばしば三頭立ての橇トロイカに乗る。外套の色は赤と青の両方があり、青は西欧のサンタクロースとの差異を意識するときに強調される。
本項の主画像は帝政期のクリスマスカードで、聖ニコラウスとジェド・マロースがまだ分かちがたく重なっていた時期の図像である。
系譜と関係
系譜は文学の産物である。オストロフスキーの戯曲『雪娘』(1873年)で、マロースは春の精ヴェスナ・クラスナとのあいだに娘スネグーラチカをもうけた存在として描かれた。リムスキー=コルサコフのオペラ(1882年)がこれを広める。孫娘という現在の関係が定着したのは、さらに後の1935年以降である。
冬の老人という形象は、東スラヴだけのものではない。ベラルーシではジェド・マロース、ウクライナではジード・モロース。アルメニアではズメル・パプ(冬の祖父)と孫娘ズユナヌシク、アゼルバイジャンではシャフタ・ババとカル・クズ。バシキール語とタタール語ではクィシュ・ババイ(冬の老爺)、ネネツ語ではヤマル・イリ、サハではチスハーンと呼ばれる。ロシア帝国とソ連の版図に沿って、同じ役割がそれぞれの言語で名を与えられた。
文化的足跡
革命後、クリスマスの習俗は「ブルジョワ的で宗教的」として排され、1928年にはジェド・マロース自身が「僧侶とクラークの同盟者」と宣告された。転換は1935年である。パーヴェル・ポストゥイシェフが『プラウダ』に寄せた投書をきっかけに新年の祝いが復活し、ジェド・マロースはクリスマスに代わる新年(ノーヴィ・ゴート)の主役として蘇った。異教起源であることは、ソヴィエトの子どもにもたらす利益の前では問題にならない、というのがその論理であった。宗教を排するために、より古い異教の形象が呼び戻されたことになる。
1998年、ヴォログダ州の町ヴェリキイ・ウスチュグが公式に「ロシアのジェド・マロースの故郷」と定められた。2003年から2010年のあいだに、この町の郵便局はおよそ二百万通の手紙を受け取っている。ベラルーシの公式の住まいはベロヴェーシの森に置かれた。2009年には、衛星測位システムGLONASSでジェド・マロースの位置を追う企画も始まっている。
1990年代に西側のサンタクロースが流入したのち、2000年代以降はスラヴ的な性格を強調する動きが強まった。子どもの祝いの場では、バーバ・ヤーガが贈り物を奪おうとするのをジェド・マロースが退ける、という筋立てが定番になっている。もとは同じ民間伝承に属する冬の精と森の妖婆が、新年の舞台の上で善玉と悪玉に振り分けられたわけである。
日本語圏では「ロシア版サンタクロース」として紹介されることが多い。厳密には、サンタクロースが聖人伝から来ているのに対し、こちらは冬の擬人化から来ている。似た役を負っていても、出自は別である。