シェズム
シェセム · シェスム · シェゼム
香油と葡萄酒の神であり、同時に血と屠殺の神でもあるエジプトの神。搾油機が神を表す記号として用いられた。時代とともに屠る者から調香師へ役目が移った。
解説
概要
シェズム(Šsmw)は、エジプト神話の神。古王国初期から祀られ、冥界において罪ある者を裁く。
その性格は真っ二つに割れている。一方では香油と香料と葡萄酒の神であり、祝祭と舞踏と歌に結びつく。他方では血の神であり、神々をも屠って四肢を断つ者である。エジプト人が宗教的な献供において赤葡萄酒を血の象徴として用いたことが、この二面性を説明すると考えられている。
神話・物語
古王国の『ピラミッド・テキスト』には、この神に特定の神格を切り刻んで調理するよう求める祈願がいくつも見える。死んだ王のための食事にするためである。王は星々への危険な旅を生き延びるために、神々の力を必要とした。「神々を屠る大いなる者」という称号は、この文脈に属する。
太陽の舟の随伴者としても働く。夜ごとの航行において、混沌の蛇アペプを打ち倒したのはこの神であるとされる。アペプを滅ぼすことで太陽の消滅を防ぎ、世界が無に帰することを食い止めた。暴力的な性格が、そのまま守護の力として用いられている。
祝祭の神としての顔もはっきりしている。古王国の文書は、この神のための特別な祭を伝える。若者たちが足で葡萄を踏み、そののち歌い踊るというものである。豊穣の女神メレトと同じく、祭りの神格として数えられていた。
時代とともに比重が移った。新王国以降、負の属性はしだいに正の属性に覆われていく。ただし第21王朝のパピルスには、葡萄の代わりに人の首で満たされた搾り機が描かれる——中王国の『コフィン・テキスト』ではありふれていた図像である。第26王朝の神妻アンクネスネフェルイブラーの石棺では、ラーのために上質の油を作る者として記録された。さらに下ってギリシア・ローマ期には、神々のための最上の油と香料の製造がこの神の第一の役目になる。屠る者から調香師へ、千数百年をかけて役目が入れ替わっている。
図像と象徴
本サイトが掲げるのは、エジプト学の慣行に沿って描かれた線図である。獅子の頭を持つ男が供物を捧げる姿で表される。
図像として描かれること自体が少ない神である。描かれる場合は獅子頭の男が屠殺用の刀を持つ姿をとり、後代には獅子そのものとしても現れる。禿鷲の頭で刀を持つ姿もある。名だけが記される場合には、しばしば搾油機の限定符が添えられ、ときには搾油機だけが描かれた。神を表す記号が、道具そのものであるという例である。
この搾油機こそが、二面性の蝶番になっている。葡萄を搾れば酒が出る。首を搾れば血が出る。同じ器械が、祝祭と処刑の双方を成り立たせる。血と葡萄酒を結ぶ連想は色に由来し、そこからラー、ホルス、ケルティといった赤い姿で現れうる神格ともこの神は結びつけられた。
関わる神格・伝承
ネフェルトゥムの一相とされることがあり、両者を兄弟として、ネフェルトゥムに獅子の頭を、シェズムに美しい若者の姿を割り当てる伝えもある。香油という主題を共有する二柱である。
防腐の工程にも関わる。屠ること、搾ること、油を作ることが、エジプトにおいてはいずれも遺体の処理と地続きであった。ケベヘトが清めの液体を担うのと同じく、この神は油そのものの側に立っている。
祭祀の中心はファイユームにあり、のちにエドフとデンデラにも聖所が設けられた。
文化的足跡
日本語圏でこの神が紹介されることはほとんどない。それでもシェズムは、エジプトの神格を読むうえで示唆に富む例である。
香りと血が同じ神の下にあるのは、両者が同じ工程から出てくるからである。押しつぶし、絞り出す——その動作が向けられる対象が葡萄か首かによって、祝祭にも処刑にもなる。エジプト人は道具のほうに神を見た。神格が抽象概念からではなく、手を動かす作業から立ち上がっている。