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メムノーン
PLATE — ΜΈΜΝΩΝ
HELLAS · ギリシア神話
ΜΈΜΝΩΝ

メムノーン

メムノン · メムノーン王 · Memnon

ギリシアの壺絵(前6世紀後半、三線描の画家に帰される) CC BY-SA 4.0

ティートーノスと暁の女神エーオースの子でアイティオピアの王。トロイアを援けてアンティロコスを討ち、アキレウスに殺された。ゼウスは母の涙に応えて不死を与えた。

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解説

概要

メムノーン(Μέμνων、「毅然たる者」)は、ギリシア神話のアイティオピアの王である。ティートーノスと暁の女神エーオースの子にあたる。

トロイア戦争において、トロイアの防衛のために軍を率いて来援した。

神話・物語

激しい戦いのさなか、メムノーンはネストールの子アンティロコスを討った。ネストールは決闘を挑んだが、メムノーンはこれを拒む。老人を殺しても名誉が乏しいためであった。

ネストールはアキレウスに子の仇を討つよう懇願する。メムノーンが倒れればまもなくアキレウス自身も倒れるという警告がありながら、二人は戦った。メムノーンはアキレウスから血を流させたが、アキレウスは槍をその胸に突き通し、アイティオピアの軍勢は逃げ去った。

この死は、同じくトロイアの守り手であり、倒れた戦友パトロクロスの仇としてアキレウスに討たれたヘクトールの死と響き合う。

メムノーンの死ののち、ゼウスはエーオースの涙に心を動かされ、彼に不死を与えた。

この死を詳しく語ったのは、失われた叙事詩『アイティオピス』である。『イーリアス』ののち、前7世紀頃に成立したとみられる。スミュルナのクイントゥスが『ポストホメーリカ』に記録し、ピロストラトス『エイコネス』にも描写がある。

図像と象徴

本サイトが掲げるのは、ギリシアの壺絵である(前6世紀後半、三線描の画家に帰される)。

エーオースが子の亡骸を抱く場面が、この人物の図像として最もよく知られる。抱かれた息子を見下ろす暁の女神——ギリシアの壺絵に繰り返し現れる主題であり、キリスト教のピエタとの構図上の類似が指摘されることもある。ただし両者を結ぶ史料上の根拠はない。

エーオースが毎朝流す露は、この子への涙であるとされた。自然現象が神話の悲嘆として説明される例である。

関わる神格・伝承

父はティートーノス、母はエーオース。伯父にあたるのはトロイア王プリアモスである。討ち手はアキレウス。

ディクテュス・クレテンシスは「ティートーノスとアウローラの子メムノーンが、インド人とアイティオピア人からなる大軍を率いて到着した」と記す。ストラボーンは、シモーニデースのディーテュランボス『メムノーン』に帰される伝えとして、シリアのパルトス近く、バダス川のほとりに葬られたとする説を伝える。

文化的足跡

エジプトのテーバイ西岸に立つ二体の巨像は、古代から「メムノーンの巨像」と呼ばれてきた。実際にはアメンホテプ3世の像だが、その一方が朝に音を発したことから、母エーオースに呼びかけるメムノーンの声と解されたのである。地震による損傷が原因とみられ、後3世紀の修復以降は鳴らなくなった。

ギリシアの英雄の名が、エジプトの王の巨像に与えられ、その音が神話の場面として解された。異なる文明の遺構が神話によって読み替えられる過程を、この呼称は示している。

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領分・別名

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資料

Wikidata
Q506781 — 骨格データの出典