大迦葉
マハーカーシヤパ · 摩訶迦葉 · 迦葉
釈迦の十大弟子で頭陀第一。妻とともに出家し、釈迦と衣を交換したと伝えられる。釈迦の入滅後、王舎城で第一結集を主宰した。禅宗は「拈華微笑」によって法を受け継いだ第一祖とする。鶏足山で禅定に入り弥勒の下生を待つとされる。
解説
概要
大迦葉(だいかしょう、梵 Mahākāśyapa、パーリ語 Mahākassapa)は、仏教の開祖釈迦の十大弟子の一人で、衣食住への執着を捨てる頭陀行に徹したことから「頭陀第一」と称された。釈迦の入滅後、最初の経典の編纂(第一結集)を主宰し、教団の後継者とされた。摩訶迦葉とも呼ばれる。
「迦葉」は古代インドではありふれた名で、仏弟子のなかにも三迦葉の兄弟や十力迦葉がいるが、大迦葉とは別人である。過去七仏の迦葉仏とも別である。
生涯
マガダ国の裕福なバラモンの子として生まれた。結婚を望まなかったが両親に強いられ、妻となったバッダー・カピラーニーとともに、互いに触れずに暮らしたと伝えられる。両親の死後、二人はともに出家した。
釈迦に会って弟子となり、八日目に悟りを得た。釈迦は自らの衣を大迦葉に与え、その代わりに大迦葉の粗末な衣を身につけたという。頭陀行は生涯続け、老いて釈迦に楽な暮らしを勧められても改めなかった。
第一結集
釈迦の入滅後、大迦葉は五百人の阿羅漢を王舎城の七葉窟に集め、経と律の編纂を主宰した。阿難が経を、優波離が律を誦し、これを確かめる形で行われた。阿難ははじめ、まだ悟りを得ていないという理由で加わることを許されず、結集の直前に悟りを得て加わったとされる。
禅宗における位置
禅宗は、大迦葉を釈迦から法を受け継いだインドの第一祖とする。釈迦が花を拈じて示したとき、大衆のなかで大迦葉だけが微笑み、釈迦が「正法眼蔵を摩訶迦葉に付す」と告げたという「拈華微笑」の話がその典拠である。この説話は宋代の中国の禅籍に現れるもので、インドの経典には見えない。
伝えによれば、大迦葉は鶏足山で禅定に入り、弥勒の下生を待って釈迦の衣を伝えるという。
図像と象徴
中国と日本の仏教彫刻では、釈迦の脇侍として、若い阿難と老いた大迦葉を配する形式が定着した。本サイトが掲げるのは、大迦葉の像である。
系譜と関係
妻は出家前のバッダー・カピラーニー。十大弟子の一人。法を阿難に伝えたとされる。
文化的足跡
「拈華微笑」は、言葉によらない伝達を意味する成句として東アジアに定着した。
なお仏教は今日も信仰されている生きた宗教であり、本項の記述はその尊格の伝承と図像に関する学術的な整理である。
領分・別名
親・配偶者・子までを表示(全体はフル系図ページへ)。実線=主要伝承/点線=異伝・別系統。