キーイ、シチェク、ホリフ
キーイ · シチェク · ホリフ
『原初年代記』においてキエフを建てたとされる三兄弟と妹ルィベジ。長兄キーイの丘に町が建てられ「キーイの町」と呼ばれた。地名を説明するために構成された名祖とみられる。年代記自身が、公であったという説と渡し守であったという説を併記する。
解説
概要
キーイ、シチェク、ホリフは、キエフ(今日のキーウ)の町を築いたと伝えられる伝説の三兄弟で、しばしば妹ルィベジとともに語られる。12世紀の『原初年代記』に記され、長兄キーイの名が町の名の由来になったとされる。ただし、四人が実在したことを示す確かな資料はなく、町の名を説明するために作られた人物である可能性が高い。
なお本サイトの分類では、スラヴ神話の体系に含めて扱う。四人が常に組で語られるため群記事とする。
町の名の由来
年代記によれば、三兄弟はそれぞれ別々の丘に住み、長兄キーイの住んだ丘に町が築かれた。「キエフ」は「キーイの(町)」を意味する。妹ルィベジの名は「白鳥」を意味し、その名を負う川もある。町の名を説明するために、その名を持つ人物が後から形づくられたと考えられる。都市の名の由来となる人物は「名祖」と呼ばれ、ローマのロムルスなども同じ性格を持っている。
公か渡し守か
『原初年代記』は、キーイについて二つの説を並べて記している。一つは、キーイは公であり、コンスタンティノープルへ赴いて皇帝に迎えられたとする説。もう一つは、キーイはただの渡し守にすぎなかったとする説である。12世紀の編者がすでに二つの伝えを知っており、どちらとも断定しなかったのである。
歴史学の見方
三兄弟の実在を示す同時代の資料はない。キーウの地には6世紀から7世紀の集落の跡が見つかっている。ソ連の時代にはキーウの創建を482年とする説がとられ、1982年に創建1500年祭が催されたが、この年代に学術的な根拠は乏しく、政治的に決められたものであった。都市の起源をいつに置くかは、政治の問題にもなりうる。キーウの起源をめぐる議論は今日のウクライナとロシアの関係のなかでも言及されるが、本項はその論争には立ち入らず、伝承を記すにとどめる。
図像と象徴
本サイトが掲げるのは、『ラジヴィウ年代記』に描かれた三兄弟と妹の図である。キーウのドニプロ川のほとりには、舟に乗った三兄弟と妹を表した記念碑(1982年)が立っている。
関わる伝承
キエフ・ルーシの建国の伝承をなす。
文化的足跡
キーウの記念碑は、市の象徴の一つとなっている。
なおスラヴの民間伝承は今日も語り継がれており、本項の記述はその伝承に関する学術的な整理である。