イリブ
エニ・アッタンニ · Ilib
ウガリットの祭儀の文書で神々の筆頭、エールより前に置かれる神格。名は「神」と「父」を合わせた語と解され、家ごとに祀られた祖先の霊を指す語でもある。神々の祖とみる説と、祖先の霊の総称とみる説がある。
解説
概要
イリブ(ウガリット語 ʾilʾib)は、ウガリットの祭儀の文書で神々の筆頭に置かれる神格である。名は「神」(ʾil)と「父」(ʾab)を合わせた語と解されるのが一般的で、「父の神」とも「神である父」とも読める。同じ語は家ごとに祀られた祖先の霊を指す普通の言葉としても使われ、神々の祖という面と家の祖先という面が一つの名のなかで重なっている。
神話・物語
イリブが登場する物語は伝わらない。手がかりは祭儀の文書と、物語のなかの一句である。
標準的な神々の一覧では、冒頭の「ツァフォン山の神々」という見出しの次に、エールより先にイリブの名が来る。供物の一覧の一つではイリブが最初に供物を受け、「地と天」を挟んでエールが続く。牛や羊が供えられたことも記録されている。フルリ語の供物の一覧では、同じ神が「父の神」を意味するエニ・アッタンニの名で、エール、クマルビ、テシュブより前に置かれる。
『アクハト物語』は、よい息子の務めを数え上げるくだりで、父のために「イリブの石柱」を立てることを第一に挙げる。家の祖先の霊を祀る石柱とみられ、イリブが家ごとの祖先祭祀と結びついていたことを示す。
図像と象徴
イリブを表した像は知られておらず、本サイトも主画像を掲げない。
系譜と関係
イリブをどう理解するかは研究者によって分かれる。D・パーディーは、エールの一族、ひいてはウガリットの神々全体の祖にあたる神とみる。I・ヤクボヴィチは、ビュブロスのフィロンが伝えるエールの祖エルヨーン(エリウーン)に近い存在とする。比較の対象には、フルリの神々の系譜の最初に立つアラルや、メソポタミアでエンリルの祖とされる神々が挙げられる。これに対して J・F・ヒーリーは、イリブを独立した神ではなく各家の祖先の霊を指す一般語とみて、神々の一覧の筆頭にあるのも王家の祖先神を指すからだと考える。
王家の祖先の霊は「ラピウマ」(レファイム)とも呼ばれ、王の葬礼で歴代の王とともに呼び出された。
文化的足跡
ヘブライ語聖書は、死者に伺いを立てることや口寄せを厳しく禁じ(『申命記』18章10〜11節)、死者の霊は力を持たないと語る。家の祖先の霊を祀るカナンの慣行に対する、はっきりとした拒否である。