ダヤン・デールフ
ダヤン・デールフ · ダヤン・デゲレキ · Dayan Deerh
モンゴル・フブスグル県で最もよく知られたシャーマニズムの神の一柱で、黄色いシャーマニズムと黒いシャーマニズムの双方で祀られる。チンギス・ハンの娘を連れて逃れ、石の像に変じたシャーマンとされ、山中の洞窟が子授けの聖地となっている。
解説
概要
ダヤン・デールフ(文語形ダヤン・デゲレキ)は、モンゴル北部フブスグル県のツァガーン・ウール郡を中心に祀られる神で、モンゴルのシャーマニズムで最もよく知られた神の一柱である。仏教の儀礼を取り入れた「黄色い」シャーマニズムと、仏教の影響の少ない「黒い」シャーマニズムの両方で重んじられ、とりわけ子を授ける神として信仰されている。チンギス・ハンの時代のシャーマンが、追っ手を逃れて人の形をした石の像に姿を変えたという伝承を持つ。
なお本サイトの分類では、モンゴル・シベリアの体系に含めて扱う。
黄色と黒のシャーマニズム
モンゴルのシャーマニズムは、仏教との関わりによって二つに分けて説明されることがある。チベット仏教のゲルク派(黄帽派)の儀礼や言葉を取り入れた「黄色い」(シャル)ものと、仏教の影響の少ない「黒い」(ハル)ものである。ダヤン・デールフはその両方で重んじられ、シャーマンの入巫にも関わる神として、フブスグルだけでなくオイラトやハルハの地域、隣接するトゥヴァでも名が知られている。ただし、この二分は外部の研究者による整理という面もあり、実際の営みは連続している。
石になったシャーマン
伝承にはいくつもの版がある。ツァガーン・ウールの土地の伝えでは、シャーマンのダヤン・デールフがチンギス・ハンの宿営を訪れ、ハンの留守に妃に招かれて祈祷をした。去り際に、見送りを断って末の娘に犬をつながせるよう言い、出てきた娘を馬に乗せて連れ去ったという。ハンと勇士たちが追うと、シャーマンは娘を山の洞窟に隠し、自らは川のほとりで石の像となった。その呪力に感じ入ったハンは、娘を妻として大切にし、力をもってこの土地の民を助けよと言い残して引き返したとされる。連れ去ったのをハンの妃とする版もある。
シャーマンの招神の詞に伝わる版では、ハンの戦士たちがこの石の像を壊そうとして果たせなかったと語られる。追われる身であった者が、その土地を守る神として祀られるに至った物語である。
子を授ける神
石の像はツァガーン・ウールで祀られてきたが、社会主義の時代に失われ、1950年代に行方がわからなくなったとされる。今日、子授けの祭祀の中心となっているのは、山中にあるダヤン・デールフの洞窟で、モンゴル有数の大きな洞窟として知られる。洞窟のなかの像には青いハダク(絹の布)が掛けられ、子を求める人々が祈りに訪れる。
寺院の破壊と復興
1860年代、洞窟から下った二つの川の合流点に、この神の名を冠したダヤン・デールフ寺が築かれた。黄色いシャーマンが仏教の枠のなかでこの神を祀る場となり、19世紀末には、黄色いシャーマンたちが3年ごとにこの寺に集まって祖霊(オンゴン)を新たにする儀礼を行っていたと伝えられる。寺は1938年、社会主義政権による仏教の弾圧のなかで閉じられて建物を壊されたが、2006年、旧寺の麓に新しい寺が建てられ、祭祀が続けられている。
図像と象徴
仏教の巻物絵(タンカ)には、白い馬にまたがり、剣または槍と弓矢を帯び、虎と獅子の皮の矢筒を負い、フクロウの羽を飾った兜をかぶる騎馬の姿で描かれる。モンゴル風の長靴を履くなど、土地の装いも残している。頭上を三羽のカラスが舞う図柄は、モンゴルの守護神(ダラ)の絵にも見られるものである。この姿は護法尊ベクツェの図像に倣ったものともいわれ、土地の神が仏教の護法神として取り込まれた経緯がうかがえる。本サイトは主画像を掲げない。
関わる伝承
フブスグルの土地を守る神であり、豊かさと子授けを司る。招神の詞には、自然を損なうことを戒める禁忌や、白鳥を守ることが詠み込まれている。
文化的足跡
ダヤン・デールフの洞窟と寺には今も参詣が続いており、ハンガリーとモンゴルの合同調査による招神の詞の採録や、モンゴルのシャーマニズムの復興を論じる民族誌で繰り返し取り上げられている。
なおモンゴル・シベリアの伝統は今日も継承されている生きた文化であり、本項の記述はその伝承に関する学術的な整理である。