カムルス
カムロス · カムーロス · マールス・カムルス
ガリアとブリトンの神で、碑文では一貫してローマのマールスと同一視される。レミ族の守護神。コルチェスターの古名カムロドゥヌムにその名が残る。
解説
概要
カムルス(ガリア語 Camulos)は、ガリアとブリトンの宗教に現れる神である。インテルプレタティオ・ロマーナによってローマのマールスと同一視された。
知られているのは主として、後1世紀から3世紀のラテン語奉献碑文による。北ガリアとゲルマニア属州で見つかり、遠くブリタンニアとダキアにも及ぶ。信仰はとりわけランス地方のレミ族と結びついていた。
同じ名は、イベリアからドナウに至るケルト語圏全域で人名としてきわめて広く用いられている。このことが名の意味をめぐる議論を呼び、碑文のいくつかが神を指すのか単なる人名なのかという問題を生んだ。
神話・物語
物語は伝わらない。この神について論じられるのは、名の性格と、マールスとの同一視である。
碑文において、カムルスは一貫してマールスと同一視される。研究者はこの神を、ローマの軍神と重ねられたガリアの神々の一群に数える。アンドレアス・ホーフェンエーダーは、レミ族の神としてこの神を、セクアニ族のセゴモ、ヘルウェティイ族のカトゥリクス、トレウェリ族のレヌス、ケノマニ族とレドネス族のムッロ、リンゴネス族のキコッルスと並べている。
レミ族との結びつきは明確である。リンダーンの神殿を建てたのも、ローマに奉献碑を立てたのもレミの市民であった。部族の守護者という役割がここから読み取れる。
図像と象徴
本サイトが掲げるのは、ドイツ・クレーフェ近郊リンダーンの聖ウィリブロルト教会に残る石碑である。「マールス・カムルスに捧ぐ。皇帝ティベリウス・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクスの安寧のために。神殿を建てたレミの市民ら」と読める。
碑文がキリスト教の教会堂の内陣に置かれているという事実が、この神の来歴を要約している。部族の神が、ローマの軍神の名を借りて記され、その石が後の教会に取り込まれて今日まで残った。
図像はほとんどない。カムルスの名を刻んだ浮彫や像はごく限られており、この神の姿がどう思い描かれていたのかは分からない。
関わる神格・伝承
マールスと同一視される。名の要素は地名にも残り、コルチェスターの前ローマ期の名カムロドゥヌム(「カムルスの砦」)がその代表である。この地名を通じて、名は後世のキャメロットとも結びつけられてきた。
名の語源は定まらない。グザヴィエ・ドラマールは camulo- という要素を「勇士」あるいは「従者」と解しつつ、提出されている語源が複数あり、いずれも不確かで互いに矛盾すると強調する。最もよく引かれるのは、古アイルランド語の稀な語 cumall(勇士)との比較である。関連する女性形 cumal(女奴隷、下女)は「疲れる、労苦する」を意味する語根 *kem(H)- に遡り、ドラマールはこれを承けて camulo- に「身を尽くす者」という一般的な語義を想定した。勇士にも従者にも当てはまる語義である。ベルンハルト・マイアーは、この名を語源的に不明瞭なものとして扱う。
文化的足跡
マイアーは、この神をめぐってより広い問題を提起している。ガリアの神名の多くは人名としても確認される。マイアーはこのことから、それらの名がしばしば個々の神の名ではなく、称号ないし尊称として理解されていたのではないかと考える。人名としての用例が突出して多いカムルスを、彼はその代表例として扱う。
カエサルは『ガリア戦記』で、前52年にセーヌ河畔でラビエヌスと戦ったアウレルキ族の指揮官カムロゲヌスの名を挙げている。この名は「神カムルスの裔」と読まれ、神の存在を裏づける材料とされてきた。マイアーはここでも懐疑的で、名が神を指すよりも、形容的あるいは敬称的な意味を帯びていた可能性が高いとする。
古アイルランド語 cumall との比較は、フィンの父クヴァルとカムルスを結びつける試みも生んだ。ただしこれも証明されてはいない。名だけが広く残り、その名が神を指すのかどうかさえ決められない——ガリアの神々をめぐる資料状況を、この一柱がよく表している。