アタル
アッタル · アシュタル · Athtar
金星の神。ウガリットや南アラビアでは男神で、メソポタミアでは同じ語源の名が女神イシュタルとなった。『バアル叙事詩』ではバアルの玉座に座ろうとして足が足台に届かず、玉座を降りる。南アラビアでは主神となった。
解説
概要
アタル(ウガリット語 𐎓𐎘𐎚𐎗 ʿṯtr)は、金星、すなわち明けの明星・宵の明星の神である。同じ名はセム語圏の各地に現れるが、その性は土地によって異なる。ウガリットや南アラビアでは男神アタルであるのに対し、メソポタミアでは同じ語源の名が女神イシュタルとなった。ウガリットでは男神アタルと並んで、女性形の名をもつ女神アスタルト(ʿṯtrt)が別に祀られていた。
ウガリットでは「星々のアタル」「天のアタル」と呼ばれ、星の戦士の神と考えられていた。南アラビアではさらに重く、古い主神イルに代わって神々の頂点に立った。
神話・物語
『バアル叙事詩』のアタルは、王座に就こうとしてかなわない神として描かれる。物語の初めでは、エールがヤムに王権を与えたと太陽の女神シャプシュから聞かされ、自分には館も宮廷もないと嘆く。シャプシュは、妻がいないからだと答える。
バアルがモートに呑まれて死ぬと、エールは後継ぎを選ぶよう妻アーシラトに求め、アーシラトは「恐るべき者アタル」を推す。ところがツァフォン山のバアルの玉座に座ると、足は足台に届かず、頭は背もたれの高さに及ばない。アタルは自分はツァフォンの頂で王にはなれないと言って玉座を降り、「大地(ʾarṣ)」を治めた。この語は「地上」とも「地下(冥界)」とも読め、アタルが地上の一部を治めたとする解釈と、冥界へ下ったとする解釈がある。王にふさわしいかどうかが体の大きさで測られる場面であり、バアルの雨に代わって井戸や灌漑の水を司る神と解する説(J・グレイら)もこの段に拠っている。
図像と象徴
ウガリットのアタルを表した確かな像は知られていない。本サイトが掲げるのは、南アラビアのアイベックスとオリックスを表したフリーズの断片(ウォルターズ美術館蔵)である。アイベックスは南アラビアで最も重んじられた聖獣の一つで、アタルと結びつけられた。神そのものの像ではなく、聖獣を通してこの神を示す参考として掲げる。
南アラビアのアタルは明けの明星の神であると同時に雷雨を司り、天からの雨という形で畑を潤す神であった。東方のアタル(アタル・シャリカーン)は、碑文の呪詛の句で敵に報いる神として呼び出された。
系譜と関係
ウガリットではエールとアーシラトの子とされる。アスタルトとは名の語根を同じくするが、両者の関係を語る神話は伝わらない。
ヨルダン川東岸のモアブでは、前9世紀のメシャ碑文に、アタル(アシュタル)とモアブの国家神を合わせた「アシュタル・ケモシュ」の名が現れる(ケモシュ)。フェニキアにもアシュタルの名が見える。メソポタミアの女神イシュタルが髭を生やした姿で表される例を、男神としての金星の神が取り込まれた名残とみる説もある。
文化的足跡
南アラビアのサバァ、マイーン、ハドラマウトなどの王国の碑文には、アタルへの奉献が数多く残り、イスラーム以前のアラビアの宗教を知る重要な資料となっている。
『イザヤ書』14章12〜15節は、バビロンの王を「暁の子、輝く者」と呼び、北の果ての神々の山の頂に座ろうとして陰府に落とされると歌う。この詩句の背後に、バアルの玉座に上ろうとして降りたアタルの物語を見る研究者もいる。
領分・別名
親・配偶者・子までを表示(全体はフル系図ページへ)。実線=主要伝承/点線=異伝・別系統。