青行燈
あおあんどん · 青行灯
百物語の会で百話目を語り終えたときに現れるとされる妖怪。鳥山石燕は、角と黒髪をもちお歯黒を差した鬼女の姿に描いた。
解説
概要
青行燈(あおあんどん)は、百物語の会に現れるとされる妖怪である。百話目を語ろうとするとき、あるいは語り終えたときに姿を見せるという。名は、百物語の席で雰囲気を出すために行燈へ青い紙を貼った習わしに由来するとされる。鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』(天明元年/一七八一)に図があり、黒い長髪と角をもち、歯を黒く染めた白装束の鬼女として描かれる。
出典と解釈
石燕が青行燈に添えた解説文は、「鬼を談ずれば、怪にいたるといへり」——怪を語れば怪が現れる、という一句である。妖怪そのものの姿や性質については何も述べていない。
ここから、青行燈とは特定の妖怪の固有名ではなく、百物語のあとに起こるとされる怪異の総体を指す語ではないか、とする説が立てられている。百物語の作法そのものを妖怪の形で描いたもの、という理解である。
そもそも百物語を語る人々は、怪異が起こることを恐れて九十九話でやめるのが常であった。したがって、青行燈が実際に現れたという具体的な記録はほとんど残っていない。現れないことを前提として語られる妖怪という、ねじれた位置にある。
近い話としては、江戸初期の怪談集『宿直草』の「百物語して蜘の足を切る事」がある。百話目に天井から大きな手が現れ、刀で斬りつけたところ、それは三寸ほどの蜘蛛の脚だったという。恐ろしいものが現れ、正体は取るに足らないものであった——怪異が肩透かしに終わる型である。
図像と象徴
石燕の図で青行燈が身にまとうのは白い着物であり、額には角が生え、歯にはお歯黒が差される。角とお歯黒は、能面の般若に代表される嫉妬に狂った女の造形と共通する。人が鬼と化す様式が、そのまま用いられているわけである。
近藤瑞木は、図中の行燈の前に置かれた裁縫道具・櫛・手紙に注目する。行燈の灯りのもとで、夫が他の女から受け取った恋文を本妻が読んでしまった——そういう場面の暗示であり、この絵の主題は嫉妬の執心にあるという読みである。百物語の妖怪という説明の下に、家の内側の情念が描き込まれていることになる。
青い光という設定も見逃せない。行燈の青い紙は、百物語の場を日常から切り離す装置であった。灯りの色が場を変え、場が怪を呼ぶ。青行燈は、道具と儀礼が妖怪を生む過程そのものを図にしたものと言える。
関わる習俗
百物語は、百本の灯心を立てて怪談を一話ごとに一本ずつ消していき、暗くなった果てに怪異が起こるとされた集まりである。江戸期には武家から町人まで広く行われ、『諸国百物語』『御伽百物語』をはじめ多くの怪談集がここから生まれた。青行燈は、その席そのものを妖怪の姿に写したものといえる。
文化的足跡
青行燈は伝承としての厚みをもたないが、石燕の図の印象が強く、近代以降の妖怪事典に必ず採録される妖怪となった。現代の小説・漫画・ゲームでは、青い灯りとともに現れる女の妖怪として造形されることが多い。ただしその性質や来歴の多くは石燕以後に付け加えられたもので、江戸の典拠に遡るものではない。