バロメッツ
スキタイの子羊 · タルタリアの植物羊 · ボラメッツ
中世ヨーロッパで実在すると信じられた、子羊を実らせる伝説の植物。臍の緒のような茎で大地とつながり、周囲の草を食べ尽くすと枯れるとされた。実体は綿花やシダとされる。
解説
概要
バロメッツ(Barometz)は、中世からルネサンスにかけてのヨーロッパで実在すると信じられた、子羊を実らせる伝説の植物である。ラテン語ではアグヌス・スキュティクス(Agnus scythicus、スキタイの子羊)とも呼ばれた。中央アジアのタルタリア(韃靼)に生えるとされ、植物と動物の境を越えた「植物動物(ゾーオフュトン)」の代表例として、長く人々の想像力を捉えた。
由来と物語
子羊は、臍の緒のような柔軟な茎で大地とつながって生え、その茎を撓めて周囲の草を食むとされた。手の届く範囲の草を食べ尽くすと、子羊も植物もともに枯れて死ぬ。切れば血のような汁を流し、骨と肉をもつ本物の羊と変わらぬとも語られた。伝承には二つの型があり、一つは多くの莢(さや)がそれぞれ小さな羊を実らせるもの、もう一つは一頭の羊が柔らかな茎の先で風に揺れるものである。
ヨーロッパにこの話を広く伝えたのは、14世紀に流布した『サー・ジョン・マンデヴィルの旅行記』であった。もっとも、この旅行記自体が各地の伝聞を編んだ書物で、著者マンデヴィルの実在も疑わしい。バロメッツの伝承もまた、東方の驚異を語る旅の物語のなかで育まれていった。
図像と象徴
図像では、四本ないし五本の根の上に立つ茎の先に、金色の綿毛に覆われた子羊が結び付いた姿で描かれる。羊が植物の一部として大地に根を張るこの造形は、動物と植物という二つの領域が一つに融合した驚異として、旅行記や博物図譜の挿絵をにぎわせた。マンデヴィルの写本では綿の木に羊がなる素朴な木版として表され、後の博物学書ではより精緻な羊=植物像が版を重ねていった。
関わる伝承
バロメッツは、同じく植物と生きものの性質を併せもつとされたマンドラゴラ(マンドレイク)としばしば並べて語られた。その名は韃靼語で「子羊」を意味するとも、ヒカゲノカズラの類を指すロシア語baranets(子羊baranの指小形)に由来するともいわれ、語源そのものが定まらない。
文化的足跡
植物羊が実在するという信は、驚くほど長く生き延びた。1751年に刊行が始まったディドロとダランベールの『百科全書』でさえ「アグヌス・スキュティクス」の項を立てている(ただし単なる植物にすぎないと注記した)。19世紀にヘンリー・リーが著した研究は、この伝説の正体を、当時のヨーロッパに未知だった綿花、あるいは羊毛状の根茎をもつシダに求めた。今日ではボルヘス『幻獣辞典』をはじめ、動物寓意譚の系譜に連なる書物のなかに、その奇妙な姿がとどめられている。