ローマ
ローマ・アエテルナ · デア・ローマ · Roma
都市ローマと国家そのものを人格化した女神。支配を正当化するために創られ宣伝された。祭祀はローマ本国ではなく東方属州で先に形をとった。
解説
概要
ローマ(Roma)は、ローマの宗教において、都市ローマと、より広くはローマ国家そのものを人格化した女神である。
ローマが自らについて抱く観念を表し、その支配を正当化するために創られ、宣伝された。貨幣、彫刻、建築の意匠、そして公の競技と祭に、その姿が現れる。
神話・物語
固有の神話は伝わらない。この女神は物語ではなく、統治の表現として存在する。
前280〜276年および前265〜242年のローマ貨幣に見える兜をかぶった人物は、ローマと解されることがあるが、同定は争われている。初期の貨幣に見える戦士的な「アマゾーン」型も、ローマである可能性はあるものの、ロナルド・メラーの見方では女神(デア)というより守護霊(ゲニウス)である。第二次ポエニ戦争とピュロス戦争の末期、ローマはフリュギア風の兜をかぶった頭部の貨幣を発行し、その一部には ROMA の刻印がある。後代の貨幣では、ローマ軍将校の標準であるアッティカ兜の諸型をかぶる。
祭祀が明確な形をとるのは、むしろ東方の属州においてである。ギリシア語圏の諸都市が、ローマの支配を受け入れる表現として、この女神への祭祀を設けた。前195年のスミュルナが最初期の例とされる。ローマ自身が創った信仰ではなく、支配される側が始めた信仰であるという点が、この神格の性格を決めている。
帝政期に入ると、ローマ本国でもその位置が高まる。ハドリアヌス帝は、ローマ・アエテルナ(「永遠のローマ」)としてのこの女神と、ウェヌス・フェリクス(「幸運をもたらすウェヌス」)に捧げる巨大な神殿を建てて奉献した。帝国の聖なる、普遍的な、そして永遠であるという性格を強調するためである。
図像と象徴
本サイトが掲げるのは、19世紀の図版に描かれたローマ女神像である。
ローマ美術と貨幣において、この女神は通常、兜と武器を備えた軍装で描かれる。征服した敵の武具を積み上げた上に立ち、従う者には保護を約束する姿である。東方の属州では、城壁冠あるいは豊穣の角、もしくはその双方を伴って表されることが多い。日常や家庭の文脈にその像が現れることはまれである。
図像には、他の女神と共通する要素がある。ローマのミネルウァ、そのギリシアにおける対応神アテーナー、そしてギリシアの都市国家を守るテュケーの諸相。これらのなかで、ローマは支配的な位置に立つ。その「アマゾーン」的な図像は、戦士の種族を生む猛々しい母としての「男らしい徳」(ウィルトゥース)を示し、在地の女神たちを置き換えるのではなく、その上に重なる形をとった。
帝政期の一部の貨幣では、統治する皇帝の穏やかな助言者、伴侶、そして保護者として描かれる。
関わる神格・伝承
ミネルウァ、アテーナー、テュケーと図像を共有する。コンコルディアをはじめとする帝政期の擬人化された神格の一群にも接続するが、ローマの場合は都市そのものを指すという点で性格が異なる。
属州の高位のローマ人代表者に好まれた神格であって、ローマの民衆一般に広く祀られたものではなかったと考えられている。
文化的足跡
キリスト教化以降も、この女神はローマ国家の擬人像として生き残った。盾と槍を持って坐す姿は、のちにブリテンの擬人像ブリタンニアの図像に影響を与えている。
都市の名がそのまま女神の名であり、その女神が国家の宣伝装置として機能する。近代の国家擬人像——マリアンヌ、ゲルマニア、コロンビア——の系譜は、この女神に発する。国家を女性の姿で表すという発想がどこから来たかを考えるとき、ローマは出発点にあたる。