ポポカテペトル
煙る山 · ポポカツィン · ドン・ゴヨ
メキシコ中央高原の活火山で、名は「煙る山」。アステカでは雨を呼ぶ最も主たる山として祀られ、山の祭では練り粉の山の像が作られた。今日も麓の村で「ドン・ゴヨ」と呼ばれ供物を受ける。
解説
概要
ポポカテペトル(Popōcatepētl。ナワトル語で「煙る山」)は、メキシコ盆地の南東にそびえる標高約5,400メートルの活火山であり、アステカとその周辺の諸族が神として祀った山である。雲を集めて雨を降らせる山として、雨の神トラロックの祭祀と深く結びついていた。北に並ぶイスタクシワトルと対をなす。
「王女を見守る戦士」の恋物語は近代に形づくられたもので、征服期の記録に見えるのは、実りをもたらす山の神としての姿である。
神話・物語
サアグンの『プリメロス・メモリアーレス』(1558〜61年頃)は、アマランサスの練り粉で作る山の像の一つとしてポポカテペトルを挙げ、固有の持物ではなくトラロックの装いをまとわせたと記す。
ドミニコ会士ディエゴ・ドゥランの「祭儀の書」(1579年)は、「ポポカツィン」と呼ばれたこの山を、あらゆる山のうちで最も主たるものとして扱う。日々の供物に加えて、年ごとの「山の祭」(テペイルウィトル)があった。人々は練り粉で火山をかたどって目と口を付け、家の目立つ場所に据え、そのまわりにトラロック、チコメコアトル、「白い山」イスタクテペトル、アマトラルクエイェ、チャルチウィトリクエ(この山から湧き出る川と泉の女神)、シワコアトルの小さな山を並べた。祭の終わりには、神の似姿の人を捧げるのと同じ作法で練り粉の山を「犠牲」にし、分けて食した。ドゥランによれば、この日には子どもや奴隷も犠牲とされ、人々は山頂へ登って火を焚き、香を焚いた。

二つの山を夫婦の神とする記述は、16世紀末のトラスカラの年代記作者ディエゴ・ムニョス・カマルゴに初めて現れる。

図像と象徴
本サイトが掲げるのは、イスタクシワトルとのあいだの峠パソ・デ・コルテスから望む北面のポポカテペトルである。
征服前のこの山の姿は、祭のたびに作られた練り粉の像として現れる。顔をもち、雨の神の装いをまとう山——山は地形であると同時に、雨を蓄え、送り出す人格的な存在だった。
系譜と関係
イスタクシワトルと対をなす(夫婦とするのは16世紀末以降)。ドゥランの記す祭では、チャルチウィトリクエがこの山から流れ出る水の女神として傍らに置かれ、雨と水の神々の中心に山が据えられている。
文化的足跡
1519年、コルテスの部下ディエゴ・デ・オルダスが登頂を試みた。山への信仰は今日も続く。麓のサンティアゴ・シャリツィントラ(プエブラ州)では、雨と雹を司る「ティエンペロ」(グラニセロ)が山を「ドン・ゴヨ」(グレゴリオ)と呼び、聖グレゴリオの日の3月12日、中腹の「へそ」と呼ばれる場所へ村人とともに供物を運ぶ。5月初めにも収穫を願う儀礼がある。この呼び名は、人類学者フリオ・グロックネルらの1989年の報告で広く知られるようになった。
恋物語の成立についてはイスタクシワトルの項に譲る。ディエゴ・リベラ《脱穀場》(1904年)の背景やドクトル・アトルの一連の作品など、この山は近代メキシコ美術の主題でもある。1994年に活動を再開し、いまも噴煙を上げている。
なおメソアメリカの先住民の伝統は今日も継承されている生きた文化であり、本項の記述はその神格の伝承と図像に関する学術的な整理である。