イスタクシワトル
イシュタクシワトル · イスタシワトル · 白い女
メキシコ中央高原の火山で、名は「白い女」。征服期の記録では雨と実りにかかわる山の女神として洞窟などで祀られた。王女と戦士の恋物語は19世紀末から20世紀に形づくられた近代の伝説である。
解説
概要
イスタクシワトル(Iztaccíhuatl。ナワトル語で「白い女」)は、メキシコ盆地の東をかぎる標高5,230メートルの火山であり、アステカをはじめとするナワ系の諸族が女神として祀った山である。雪をいただく稜線が、仰向けに横たわる女の姿に見えることからこの名がある。南に並ぶポポカテペトルとともに、盆地から望む東の地平をなす。
今日よく知られる「王女と戦士の恋物語」は近代に形づくられたもので、征服期の記録に見えるのは、雨と実りにかかわる山の女神としての姿である。
神話・物語
サアグンがテペアプルコで集めた『プリメロス・メモリアーレス』(1558〜61年頃)は、神々を列挙するなかでイスタクシワトルを女神の一柱として挙げている。
より詳しいのはドミニコ会士ディエゴ・ドゥランの『ヌエバ・エスパーニャのインディアス史』所収の「祭儀の書」(1579年)である。ドゥランはこの神を「雪の山脈」を人格化した女神として女神の列に置き、山中の洞窟とテノチティトランの双方で祀られたこと、厳しい断食と人身供犠を伴ったことを記す。ドゥランは続けてポポカテペトルを扱うが、二柱を夫婦とはしていない。
二つの山を「夫と妻」とする記述の初出は、トラスカラのメスティーソの年代記作者ディエゴ・ムニョス・カマルゴである(1580年代の『トラスカラ報告』と、のちの『トラスカラ史』)。ただしこれはキリスト教の婚姻の枠組みで書かれており、征服前の観念をどこまで伝えるかは慎重に読む必要がある。
図像と象徴
本サイトが掲げるのは、アメカメカのサクロモンテから望むイスタクシワトル山である。連なる峰は頭・胸・膝・足の名で呼ばれ、最高点は「胸」(エル・ペチョ)にあたる。
山そのものが神の身体として捉えられていた。ドゥランが記す山の祭では、アマランサスの練り粉で火山をかたどった像のまわりに周囲の山々の小像が並べられ、そのなかに「白い山」イスタクテペトルの名が見える。練り粉の山には目と口が付けられ、山は顔をもつ存在として扱われた。
系譜と関係
ポポカテペトルと対をなす(夫婦とするのは16世紀末以降)。雨の神トラロックの祭祀と同じく、雲と雨をもたらす山への信仰に属する。19世紀の旅行者の記録には、東のラ・マリンチェ山を二つの山の娘とする言い伝えもある。
文化的足跡
恋物語の成立は、歴史家ダビド・カルバハル・ロペスが跡づけている(2021年)。19世紀には、フンボルトやレーヴェンシュテルンら旅行者が二つの山を「夫婦」とする言い伝えを書き留め、1874年の『メキシコ鉄道史』が、知られる限り初めて筋のある物語(不貞と殺害の悲劇)を載せた。現在広く知られる王女と戦士の版は、ペルーの詩人ホセ・サントス・チョカーノの詩(1912年)が、ガブリエラ・ミストラル編の公教育の読本(1924年)に収められて定着したものである。ヘスス・エルゲラの絵《火山の伝説》(1940年)とそのカレンダー画、小学校の教科書を通じて、国民的な伝説になった。
山への信仰そのものも絶えていない。山麓の村々では、雨と雹を司る「ティエンペロ」(グラニセロ)がこの山を「ドニャ・ロシータ」と呼び、毎年5月初めに収穫を願って供物を運ぶ。
二つの山はディエゴ・リベラやドクトル・アトルの風景画にも繰り返し描かれた。
なおメソアメリカの先住民の伝統は今日も継承されている生きた文化であり、本項の記述はその神格の伝承と図像に関する学術的な整理である。