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PLATE — NUNUKU-WHENUA
OCEANIA · ポリネシア神話
NUNUKU-WHENUA

ヌヌク・フェヌア

ヌヌク・フェヌア · ヌヌク · Nunuku-whenua

16世紀のチャタム諸島のモリオリの首長で、殺し合いを禁じる「ヌヌクの掟」を定めたと伝えられる。争いは杖一本での一騎打ちに限られ、血が流れれば終わるとされた。この掟を守ったモリオリは1835年のマオリの侵攻に抵抗せず、多くが殺され奴隷とされた。

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解説

概要

ヌヌク・フェヌアは、16世紀頃、ニュージーランドの東に浮かぶチャタム諸島のモリオリの人々を率いた首長である。殺し合いを禁じる「ヌヌクの掟」を定め、争いは杖一本での一騎打ちに限り、血が流れればそこで終えることとした。この掟は数百年にわたって守られたが、1835年、ニュージーランド本土から渡ってきたマオリの侵攻に対して、モリオリの人々は掟に従い抵抗しなかった。

なお本サイトの分類では、ポリネシア神話の体系に含めて扱う。

ヌヌクの掟

モリオリの人々は、1500年頃までにニュージーランド本土から、彼らがレコフと呼ぶチャタム諸島へ移り住んだポリネシアの人々である。ヌヌクは、殺し合いと人を食うことを禁じた。掟を破った者の腸は腐るという呪いも定められた。争いごとは、親指ほどの太さの杖一本で戦う一騎打ちに限られ、相手の血が流れたところで終わる。命を奪うことなく、名誉と争いに決着をつける仕組みであった。この掟は、モリオリの社会で数百年にわたって守られた。

寒冷で農耕の難しいチャタム諸島では、資源が限られていた。殺し合いが続けば、小さな共同体そのものが立ち行かなくなる。争いを抑える掟は、小さな島で生き延びるための条件であったとする見方がある。

1835年

1835年、ニュージーランド本土のマオリの二つの部族が、ヨーロッパの船でチャタム諸島に渡ってきた。モリオリの長老たちは会議を開き、ヌヌクの掟に従って抵抗しないことを決めた。侵攻した人々は多くのモリオリを殺し、残った人々を奴隷とした。1862年までに、モリオリの人口は百人あまりにまで減ったという。この歴史は、関係する人々の子孫にとって今も重い意味を持っている。本項は掟の伝承を記すにとどめ、歴史の評価には立ち入らない。

再評価

モリオリは長く「絶滅した民族」とされてきたが、その子孫は今も暮らしている。2020年、ニュージーランド政府はモリオリとの和解の法律を定めた。

図像と象徴

固有の図像は伝わらず、本サイトも主画像を掲げない。

関わる伝承

モリオリの伝承に属する。

文化的足跡

チャタム諸島には、2005年にモリオリの集会所コピンガ・マラエが建てられた。

なおポリネシアの伝統は今日も継承されている生きた文化であり、本項の記述はその伝承に関する学術的な整理である。

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領分・別名

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資料

Wikidata
Q3346447 — 骨格データの出典