金神
こんじん · 艮の金神 · うしとらの金神
方位神の一つで、その方位を犯すと家族七人に死が及ぶ(七殺)とされ恐れられた。牛頭天王に調伏された巨旦大王の精魂とされる。幕末に川手文治郎(金光大神)と出口なおが啓示を受け、金光教・大本の主神となった。
解説
概要
金神(こんじん)とは方位神の一つである。『簠簋内伝』に記述がある。
金神の在する方位に対してはあらゆることが凶とされ、とりわけ土を動かしたり造作・修理・移転・旅行などが忌まれる。この方位を犯すと家族七人に死が及び、家族が七人いないときは隣の家の者まで殺される(これを七殺という)と言われて恐れられた。
起源
金神のなかでも、「うしとらの金神」は「久遠国」という夜叉国の王である巨旦大王の精魂とされる。巨旦大王の眷属の精魂も金神と呼ばれる凶神となっている。
その精魂の抜けた屍は牛頭天王によって五つに引き裂かれ、五節句に合わせて祭った(巨旦調伏の祭礼)。1月1日の紅白の鏡餅(巨旦の骨肉)、3月3日の蓬の草餅(巨旦の皮膚)、5月5日の菖蒲のちまき(巨旦の髭と髪)、7月7日の小麦の素麺(巨旦の筋)、9月9日の黄菊の酒(巨旦の血)である。
白河天皇期に、陰陽家と対立する仕方で清原定俊が金神の忌を申し出たことが直接の起源とされる。
金神の巡行
金神の在する方位は、その年の十干によって変わる。また金神は遊行し、その期間においては遊行した方角以外は犯しても構わないとされる。春の丑の日、夏の申の日、秋の未の日、冬の酉の日は金神の間日として、金神の方向を犯しても差し支えないとした。
金神と新宗教
金神は人々に大変恐れられており、江戸時代の末には岡山県地方では「金神封じ」と称して祈祷を行う修験者もいた。一方、金神を強力な神として迎え信仰した者も多い。
金神の祟りで幾度も転居を余儀なくされた香取繁右衛門と、金神七殺の祟りで家族を何人も失った川手文治郎(のちの金光大神)は、金神の啓示と自らの体験から、金神は昔からある神であり、神として立て仰ぐ人間を待っていたと説き、金神信仰を体系化して宗教化した。文治郎は金光教を開いた。明治中頃には、出口なおが艮の金神の啓示を受けて大本を開いた。
恐れられた祟り神が、新宗教の主神になるという転換が、この神の近代史である。
図像と象徴
本サイトが掲げるのは、金神の図である。
方位という抽象が神格化されたという点が、この神を規定する。姿を持たず、方角として存在する。家を建てるとき、旅に出るとき、その方角を避けるという実践のなかにのみ現れる。
関わる神格・伝承
牛頭天王に調伏された巨旦大王の精魂。方位神として歳徳神、八将神と並ぶ。
文化的足跡
金光教、大本の主神として、今日も信仰されている。方位の忌みは、家相・方位学の伝統のなかに残る。
なお神道と日本の民間信仰は今日も継承されている生きた信仰であり、本項の記述はその神格の伝承と図像に関する学術的な整理である。