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ヴァヴェルの竜
PLATE — SMOK WAWELSKI
SLAVI · スラヴ神話
SMOK WAWELSKI

ヴァヴェルの竜

ヴァヴェル竜 · クラクフの竜 · スモク・ヴァヴェルスキ

Sebastian Münster, Cosmographia (1544) PUBLIC DOMAIN

ポーランドの古都クラクフ、ヴァヴェルの丘の洞窟に棲んだとされる竜。硫黄を詰めた餌を食らって水を飲みすぎ、腹が裂けて死んだ。力ではなく知略に倒された竜として、市の象徴となっている。

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解説

概要

ヴァヴェルの竜(Smok Wawelski)は、ポーランドの古都クラクフを流れるヴィスワ川のほとり、ヴァヴェルの丘のふもとの洞窟に棲んだと伝えられる竜である。人や家畜を食らって町を苦しめたが、最後は武力ではなく知恵によって倒された——硫黄を仕込んだ餌を食わされ、腹の中で燃える火を消そうと水を飲みすぎたのである。スラヴ神話圏の竜退治譚のうち最も名高いものの一つであり、その洞窟スモチャ・ヤマ(竜の洞窟)は今もヴァヴェル城の下に残る。

登場する物語

物語には複数の伝えがあり、時代とともに退治者が入れ替わっている点にこの伝説の面白さがある。

最も古い記録は、13世紀のクラクフ司教ヴィンツェンティ・カドウベクの『ポーランド年代記(Chronica Polonorum)』である。カドウベクはこの竜を、自ら造った語 holophagus(「丸呑みする者」)と呼んだ。ここでは竜はクラクフの伝説的な建設者クラク王(Krak / Krakus)の治世に現れ、毎週の家畜の貢物で宥められていた。これを退治したのは王の二人の息子たちで、硫黄を詰めた囮の家畜を用いる。ところが弟が手柄を独占しようと兄を殺し、後に露見して追放され、跡は王女ヴァンダが継いだと語られる。

15世紀のヤン・ドゥウゴシュの年代記では、策略の考案者が王クラク自身に付け替えられる。さらに16世紀末、マルチン・ビェルスキ(1597年)に至って、退治者は靴屋のスクバ(Skuba)となった。今日もっとも親しまれているのはこのビェルスキ以降の民話版で、スクバが硫黄を詰めた羊を洞窟の前に置き、竜がそれを食らって渇きに苦しみ、ヴィスワ川の水を飲みすぎて破裂する、という筋である。スクバは褒美として王女を妻に得る。スクバの名は、ヴァヴェル近くにあった聖ヤコブ(ポーランド語でクバ)の教会に由来するとみられ、その聖人伝には火を吐く竜を退治する話がある。

図像と象徴

ヴァヴェルの竜の古い図像として名高いのが、ゼバスティアン・ミュンスターの『宇宙誌(Cosmographia)』1544年版に載る木版画である。数本の脚をもつずんぐりとした獣として描かれ、近世ヨーロッパが竜をどう思い描いたかを伝える。竜退治のモチーフそのものは、旧約外典のバビロンの竜を斃すダニエルの物語や、聖ゲオルギオスの竜退治とも響き合う。ただしクラクフの竜は、聖人が信仰の力で斃す竜とは異なり、硫黄という即物的な仕掛けによって、力ではなく知恵で倒される点に特徴がある。ヴァヴェル大聖堂の入口には、長らく「竜の骨」と称する巨大な骨が吊るされてきた(実際には先史時代の大型動物の骨とされる)。1969年に彫刻家ブロニスワフ・フロミィが制作した高さ6メートルの竜像は、1972年からヴァヴェルの丘のふもとに据えられ、実際に火を噴く仕掛けで知られる。

関わる伝承

竜が結びつくのは、クラクフの起源そのものである。伝説の建設者クラク王、その丘の下に築かれたという都、王女ヴァンダの物語——竜退治譚はこれらと分かちがたい。退治者が王子から王、そして靴屋へと移り変わったことは、伝説が宮廷の年代記から民衆の物語へと担い手を変えていった歩みを映している。研究者のなかには、竜を丘に先住した敵対勢力の隠喩とみる説や、大聖堂の「竜の骨」(先史時代の化石)が伝説を育てたとみる説もある。物語の骨格には、キリスト教以前のスラヴにさかのぼる要素があるとも考えられている。

文化的足跡

ヴァヴェルの竜は、今日クラクフの、ひいてはポーランドの象徴の一つである。フロミィの火噴き竜像は市を代表する名所となり、洞窟スモチャ・ヤマは公開されて竜像へと通じている。竜を主人公にした絵本やアニメーション、土産物は数多く、力に対する知恵の勝利という主題は、ポーランドの語りのなかで繰り返し愛されてきた。近年ではゲームやファンタジー作品にもその名がしばしば登場する。

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領分・別名

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資料

Wikidata
Q463190 — 骨格データの出典
Commons
Wawel Dragon — 図像カテゴリ