セー・アカトル・トピルツィン
セー・アカトル・トピルツィン · トピルツィン · Cē Ācatl Topiltzin
10世紀のトルテカの王とされる神話化された人物。人身供犠を廃したがテスカトリポカに酒で欺かれて都を去り、東へ去った。「一の葦の年」に戻ると告げたという。コルテスをその帰還と誤認したという説は征服後の構成とする見方が有力。
解説
概要
セー・アカトル・トピルツィン・ケツァルコアトル(「我らの君、一の葦、羽毛ある蛇」。895年5月13日〜947年)は、16世紀のナワの歴史的伝承の記述に現れる神話化された人物である。
アステカの伝承において10世紀のトルテカの支配者と同定される。アステカは、自らが中央メキシコの高原に定住する数世紀前に、この地域を治めた先行者としてトルテカ人を見ていた。
後の世代において、彼は文化英雄にして伝説の人物となり、しばしば重要なメソアメリカの神格ケツァルコアトルと混同され、あるいは同一視された。
王と神の混同
トピルツィンは、その名にケツァルコアトルを含む。トルテカの王が神の名を称号として用いたためである。
混同の帰結。 16世紀以降の資料において、王と神が区別されないまま語られる。今日の研究は両者を分けようとするが、資料そのものが混同しているため、完全な分離は困難である。
本項は歴史化された王の伝承を扱い、神格としてのケツァルコアトルは別項に譲る。
伝説
トピルツィンはトゥーラ(トッラン)を治め、人身供犠を廃して蝶と蛇を捧げさせたという。
しかしテスカトリポカがこれを妬み、酒を飲ませて姉と交わらせた。恥じたトピルツィンは都を去り、東へ向かった。
海辺に至り、蛇の筏に乗って去った。あるいは自ら火に入り、その心臓が明けの明星になったという。
帰還の約束。 去るにあたり、「一の葦の年」に戻ると告げたとされる。
コルテスとの結びつき
スペイン人の到来した1519年が「一の葦」の年にあたったため、モクテスマがコルテスをケツァルコアトルの帰還と誤認したという説が広く語られてきた。
この説への批判。 近年の研究は、この物語が征服後にスペイン人と先住民の双方によって構成されたものであり、征服前の伝承ではないとする見方が有力である。
征服を必然として説明する物語が、事後に作られた可能性が高い。本項はこの議論を踏まえ、通説を無批判に採らない。
図像と象徴
本サイトが掲げるのは、ケツァルコアトルの図である。
関わる神格・伝承
ケツァルコアトルと混同される。テスカトリポカに追われた。
文化的足跡
トゥーラ(イダルゴ州)の遺跡には、アトランテスと呼ばれる巨大な戦士の石柱が残る。トルテカ美術の代表である。